『大日本史料』 12編 33 元和六年正月~同年六月 p.701

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歸朝乃事をつ〓んかため、七月七日、續をときて渡海す、いとますづふの, とき、呉服、羽織等をすまぬ、四年四月十六日、從五位下、丹波守に敍任す、五, 見えすり、, おほさにより、徳永法印壽昌とおなしく、朝鮮に陣するとこ法の諸將に、, 〻戰功ありす、采地五千石を知行す、慶長三年、太閤他界のゝち、東照宮の, 豐盛宮城右兵衞尉堅甫ろ養子、實は某氏か男、豐臣太閤につかへ、しは〻, を妻とし、別に家を興し、子孫主膳豐嗣にいたりて斷絶す、其世系は下に, 母〓豐盛か女、, 實は某氏か男、堅甫ノ一族なるをもつ多、養子とれりて、其女, 〔寛政重修諸家譜〕, 豐盛, 〔寛政重修諸家譜, 元和六年五月二十九日, 豐盛, 宮城, 宮城, 堅甫, 長次郎、丹波守、從五位下、宮城忠右衞門和, 六百二, 或賢祐、童名, 長次郎、, 十九, 中か系圖に、のち長次そあらたむといふ, 十、右兵衞尉、, 丹波守, 六百二, 十八, 右京進、從五位下, 或忠頼、童名長壽、, 女子頼久か妻、, 秀吉ニ仕, 履歴, 慶長ノ役, 國ノ命ヲ, 朝鮮ニ航, 諸將ニ歸, シ出征ノ, 世系, 傳フ, 七〇一

割注

  • 長次郎、丹波守、從五位下、宮城忠右衞門和
  • 六百二
  • 或賢祐、童名
  • 長次郎、
  • 十九
  • 中か系圖に、のち長次そあらたむといふ
  • 十、右兵衞尉、
  • 丹波守
  • 十八
  • 右京進、從五位下
  • 或忠頼、童名長壽、
  • 女子頼久か妻、

頭注

  • 秀吉ニ仕
  • 履歴
  • 慶長ノ役
  • 國ノ命ヲ
  • 朝鮮ニ航
  • 諸將ニ歸
  • シ出征ノ
  • 世系
  • 傳フ

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  • 七〇一

注記 (40)

  • 400,709,61,2101歸朝乃事をつ〓んかため、七月七日、續をときて渡海す、いとますづふの
  • 285,712,65,2102とき、呉服、羽織等をすまぬ、四年四月十六日、從五位下、丹波守に敍任す、五
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