『大日本史料』 12編 33 元和六年正月~同年六月 p.315

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大坂の役にしたかひとそまつり、こたまに陣す、十一月十八日、家臣稻田, 勝を御征伐あるにより、したろひすてまつらむとす、ときに増田長盛ろ, るのとき、細川忠興、加藤清正等と黨をむすひ、東照宮に書をさゝけて、三, ろため、伏見城に乃ほりて、東照宮に拜〓し、のち封を襲、こしとし上杉景, 修理亮示植、中村右近重勝を具して木津に赴き、地理を巡見し、また家臣, 許より、太閤乃舊臣として、東照宮に屬すを事いは〓なき乃よし申贈り, 成か罪状を訴ぬ、五年正月、氏姫君、至鎭ろもとに入輿ありし〓を謝せん, けもは、至鎭答て、我何〓豐臣家に〓むろんや、すゝ汝等にくみせさおの, に扈從し〓、下野國小山にいたり、關原の御陣にも從むすてづつる、九年、, たろへ、乃ち命によりて、長門守と號す、慶長四年、石田三成等謀叛し企あ, みとて、則五千餘騎をむきゐ、大坂乃居邸に入、凶徒等か攻るをxつ、其勢, 從四位下、阿波守に敍任す、十九年、本城石垣普請の〓をたすきつとむ、後, ひあたをへつらす、こゝにをい〓、長盛等和議をこふにより、終に東照宮, 至鎭母は家長か女、天正十四年、徳嶋に生ま、八歳のときより豐臣太閤に, -女子母は上におなし、水野出雲守成貞か妻、, 元和六年二月二十六日, 軍ニ從フ, 履歴, 關原役東, 石田三成, 等トノ軋, ニ從フ, 大坂冬陣, 轢, 元和六年二月二十六日, 三一五

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  • 軍ニ從フ
  • 履歴
  • 關原役東
  • 石田三成
  • 等トノ軋
  • ニ從フ
  • 大坂冬陣

  • 元和六年二月二十六日

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  • 三一五

注記 (26)

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