『大日本史料』 12編 48 元和八年八月~同年九月 p.91

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され候、其刻、隆佐隱居まかないの知行分を、子共・女子共まてに配分被申候、殊我, たうらうかおのと存候、其故、隆佐と拙者間なをし度由、去年ゟれき〳〵の御衆御肝, 等家續申者こは、一言も不及談合、東福寺澄長老相談にて、讓状共被相究之由、後ニ, 煎にて候へとも、末代家こきづ付申事、不及覺悟候付、家のためを存、中をはなをり, 不申候、此等趣、徳善院僧正樣・勸修寺樣御兩殿樣へ得御読、家徳無相違、至後代迄, 行分ヲ、子孫と分ちらし申候はゝ、重而家相續御奉公申上儀、不罷成候、隆佐隱居之, 御奉公たいてんなく仕候樣に、御理可申上儀、肝要ニ存候事、, を取立候はて不叶儀と候、殊庵之屋敷と付ても、契約共御座候、淵底其筋目隆佐被存, 一ほうりん庵慶藏主と申は、我等之をはにて候、此弟子之儀、條〻子細候て、拙者の子, 御座候、其役をつとめ申、家徳を兄弟共押領被仕候ハん事、覺悟之外ニ候、少在之知, 躰にて、御朱印を押破、隆佐讓状にて、兄弟共知行可仕事、天道もおそろしく、其上, 上候儀迷惑と存、于今延引仕候、某儀ハ、禁中樣御奉公申上、其外さま〳〵の調進物, 承、驚存候、則徳善院樣へ得御意可申と存候へ共、年罷寄候親之ほれられ候事を、申, 相屆故、久たかんたう被仕候處と、各以肝煎、去々年十二月廿六日ニ隆佐と中をなを, 慶藏主, 齋等ニ讓與, 隱居分ヲト, ほうりん庵, 康善ト和解, ト齋ト和解, セズ, ス, 元和八年九月二十六日, 九一

頭注

  • 慶藏主
  • 齋等ニ讓與
  • 隱居分ヲト
  • ほうりん庵
  • 康善ト和解
  • ト齋ト和解
  • セズ

  • 元和八年九月二十六日

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  • 九一

注記 (24)

  • 1753,739,91,2175され候、其刻、隆佐隱居まかないの知行分を、子共・女子共まてに配分被申候、殊我
  • 886,731,82,2175たうらうかおのと存候、其故、隆佐と拙者間なをし度由、去年ゟれき〳〵の御衆御肝
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