『大日本史料』 12編 50 元和八年十一月~同年是歳 p.104

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播州樣之代之時之ことく被仰付可被下候事、, 懸候事、中〻さたのかきりなる儀ニ御座候間、此上は、山少もやり申間敷候間、小出, 樣御意ニ而被出候〓ニ而候ゆへ、少之事は如何樣共〓衆へ任をき、則、三田村・新在, 家村雙方互ニ就同心、相濟シ、以來末代申分無之との書物取かわし、去〻年申ノ十二, 月廿六日相濟申事、其かくれ無御座候處ニ、又如此違篇いたし、かやうのやから被申, 被申懸候、右申上通、先代小出播州樣之時相濟申山之儀ニ而候間、中〻不及沙汰ニも, 候處二、根來右京樣、國之殿樣ニ而御座候ゆへ、なにかと云分仕事、時分柄不入事候, 間、八木郷・山直郷此兩郷壹萬石、御下庄屋衆〓候て、事濟候へと被仰付候ゆへ、〓, 衆罷出被申候は、此山之内、少もらいたきと被申候間、〓ノ上は不及是非、其上右京, 又候哉やから申懸、右さい, 一此山之儀、八木・山直壹萬石ノ下庄屋衆、右京樣御意として〓ニ被罷出、則、山ヲわ, 之時、, 一根來右京樣御代官所ニ罷成候而以後、新儀ニ又右之山ヲ三田村よりしんだいニ可仕由、, け、其さいめヲ堀ヲほり、四至ヲかきりをかれ候處、去年御よこめの御奉行衆樣御越, めのほりヲ、三田村惣百姓罷出、うめ申候、則、右之〓兩郷庄屋衆所へ使ヲ立、俄ク, 六年八月十一日ノ條ニ見ユ、七年ニ巡檢使派遣ノコト、所見ナシ、, ○幕府、大河内正綱・佐野正綱ヲシテ五畿内等ヲ巡檢セシムルコト、, 田村ヨリ再, 定メ調停セ, ビ申懸ク, 盛重〓人ヲ, ナリテ後一, シム, 盛重代官ト, 元和八年十二月八日, 一〇四

割注

  • 六年八月十一日ノ條ニ見ユ、七年ニ巡檢使派遣ノコト、所見ナシ、
  • ○幕府、大河内正綱・佐野正綱ヲシテ五畿内等ヲ巡檢セシムルコト、

頭注

  • 田村ヨリ再
  • 定メ調停セ
  • ビ申懸ク
  • 盛重〓人ヲ
  • ナリテ後一
  • シム
  • 盛重代官ト

  • 元和八年十二月八日

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  • 一〇四

注記 (26)

  • 695,745,61,1109播州樣之代之時之ことく被仰付可被下候事、
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