『大日本維新史料 編年之部』 1編 2 弘化3年6月~同年9月 p.640

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り、士民みもの共、御國表并赤坂御屋形迄も罷出、むたすらとおすろり申上、何とぞ上樣, くれさせ被遊、誠ニ以一同おとろき入、十方こくれ罷在、月とも星とも御すかり申上候御, 方樣、右樣成せられ候御事、如何し否運ニ有る〓きやと、打寄悲歎ニ沈み痛心罷在候、段〻, な、其後も十一月十八日、上樣赤坂し御屋形へ御成被遊候ニ付、翌日御禮御登城と, つし、蔭なろら〓ニむせひ、御吉事し程ヲ明くれいのり奉候處、當三月中、紀州樣、御か, して御對顏被爲有し節も、又〻仰上られ候哉し處、上樣こは難有尊慮し御思召しよし、, 國元一統末〻百姓ニ至ル迄いろ計ろ〳〵恐入奉り罷在候處、悲歎し餘り、一關ニそんし詰, 御前向御ふ々ふ解させられ候樣御取なしし程、おなげき申上奉り候得は、すく樣御聞濟被, 御内〻彼の方ゟ伺奉り、乍恐有ろたきと申上候も、寔ニ〳〵恐入奉候御事こて、心根こて, 水戸中納言殿、一昨年、はつらすも御ふくふこふむらせられ、愼み隱居べん重被仰付、, 奉伺候得去、峯壽院樣御つ〻き合ニ被爲入候よしの御趣ニ御座候得は、存念相決奉申上, 下置、去巳四月、御參府御登城し節よりして、上樣へ御直ニ仰上られ候との御事こ, 紀伊國樣御三家樣と申上、殊ニ峯壽院樣御兄弟し御續合ニ被爲入、尚さら御高徳を慕奉, ○九月二日幕府大奧女中三保山宛, 三保山殿迄指出候歎願書之扣, 弘化三年九月二日, 歎願書, 死去ノ爲落, 膽ス, 和歌山藩主, 高橋多一郎, 六四〇

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注記 (22)

  • 1241,671,64,2231り、士民みもの共、御國表并赤坂御屋形迄も罷出、むたすらとおすろり申上、何とぞ上樣
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  • 890,671,67,2230な、其後も十一月十八日、上樣赤坂し御屋形へ御成被遊候ニ付、翌日御禮御登城と
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