『大日本維新史料 編年之部』 1編 5 弘化4年4月~同年5月 p.435

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西丸, あり、御けしきうかゞふ、又使まいらせらる、, 六日、一橋民部卿慶壽卿病危篤により、戸田山城守して問はせらる、, 日、一橋邸を相續あり、同じき九月廿五日、元服ありて、今の官位に敍任あり、けふとし二, 十五歳にてかくれさせたまひしなり、承休院と諡して、東叡山凌雲院におくりまいらす、, 右疱瘡ニ付、爲御尋被遣之、, 徳川民部卿殿, して、文政六年三月四日、田安邸に生れさせたまひぬ、幼名は房之助、天保九年五月廿五, 七日、一橋從三位中將兼民部卿慶壽卿逝せさせたまひぬ、卿は田安一位齊匡卿第五の子に, 九日、一橋民部卿慶壽卿かくれさせたまひしによて、紀・水のかた〴〵はじめ群臣總出仕, 小田切土佐守, 生干肴一箱, 御使御側衆, 五月五日, 〔弘化年録〕, 四月十三日, 生干肴一箱徳川民部卿殿, 課所藏本, ○内閣記録, 徳川慶壽薨, 篤ニ陷ル, 去, 徳川慶壽危, 總出仕ヲ令, 弘化四年五月七日, 四三五

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  • 課所藏本
  • ○内閣記録

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  • 徳川慶壽薨
  • 篤ニ陷ル
  • 徳川慶壽危
  • 總出仕ヲ令

  • 弘化四年五月七日

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  • 四三五

注記 (26)

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