『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.184

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兄光好生質算數地理之學を好、醫業を嫌, 部を獻し、台徳院殿に、千金方一部をたてまつる、, ひ樞要の圖、漏刻の圖等をつくる、十五年、病によりて京師にかへり、四月, 醫方大成論抄一卷等なり、また運氣にくはしくして、運氣諸論の圖をよ, より以下はこれをかそへすして、猶みつからをらすといへり、世のため, 十七日、かの地にをいて死す、年五十三、法名又玄、妻は堀氏の女、, に貴重せらるゝこと、略かくのことし、其餘著述するところ、藥性纂類十, ち御前にをいて、試に數種の藥性をとはせたまふのところ、其功用を詳, 八卷、増補醫經小學十二卷、本草序例抄七卷、素問講義六卷、難經註疏四卷、, 宗悔, にをいて仕へたてまつる、このとき父か遺物杜氏通典一部、奇効良方一, に言上せしかは、頗尊慮にかなふ、慶長十五年、遺跡を繼侍醫となり、駿府, により、宗愉嫡子に定り、元龜三申年家督、意安と稱、天文十三酉年、秀吉公, 吉皓母き堀氏の女、幼少のとき、はしめて、東照宮にまみへたてまつり、の, へ召出され、侍醫直し法眼に敍し、山城國の舊領五百石、永無相違領知す, 〔官醫家譜〕五吉田, 慶長十五年四月十七日, 初光政、意安、孫次郎、民部卿、, 意安法印、後民部卿法印, 宗悔ノ著, 述, 吉皓, 一八四

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  • 初光政、意安、孫次郎、民部卿、
  • 意安法印、後民部卿法印

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  • 宗悔ノ著
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注記 (23)

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