『大日本維新史料 編年之部』 2編 3 安政1年2月1日~同年2月10日 p.837

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は差構無之候、, 一同三日、今朝異國並ひ樣左之通り、, 一二月二日、異船生麥村沖ゟ神奈川迄、陸ゟ凡一二里宛隔り碇泊り、, 今夕刻、浦賀ゟ舘浦御假家取崩シ積來り、横濱海岸へ應接場所貳百疊敷之御假屋取掛り、, 軍船も本牧鼻を放れ、帆形顯れ、七艘一時ニ横濱を差て乘來り候姿、其以前ハツテイラ, 建候、是は和睦應接の印と申事こ承り候、, 奈川濱へ向ケしつ〳〵と乘〓し候躰、折柄富岡・杉田之沖邊と碇泊り致居候コルベツト, 用聞ト御兩家ゟ御壹人ツヽ當宿へ御泊り、大筒等は當宿は混雜ニ付、程ケ谷へ御〓し相, 成ル、, 田を〓り、品川沖へ乘入候儀は止り候儀う被存候、ハツテイラえ白き布にて印の樣成を, 都る浦賀奉行掛り追々被成候ニ付、大工其外共御召連こ相成、與力衆致差配、宿方ニる, 數艘、爰彼所ニ掛り居、是は海の深淺を量り、七艘之異船へ夫々碇を卸候場所を極、其處, 一應接場御固御用意小笠原樣・眞田樣被仰付、浦賀奉行御差圖次第御人數操出し候、爲御, こ碇下しの爲の由なり、如是樣子こる横濱地内洲乾こる應接上陸承知と被存候、依る羽, 一二月朔日未上刻、異船之内蒸氣船より煙立登り候得は、追々三艘同樣軍船は帆を開、神, 應接所建設, 固, 應接所ノ警, ニ退泊ス, 米船横濱沖, 安政元年二月十日, 八三七

頭注

  • 應接所建設
  • 應接所ノ警
  • ニ退泊ス
  • 米船横濱沖

  • 安政元年二月十日

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  • 八三七

注記 (22)

  • 871,713,59,353は差構無之候、
  • 292,669,59,885一同三日、今朝異國並ひ樣左之通り、
  • 754,669,61,1657一二月二日、異船生麥村沖ゟ神奈川迄、陸ゟ凡一二里宛隔り碇泊り、
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  • 1213,709,61,1009建候、是は和睦應接の印と申事こ承り候、
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