『大日本維新史料 編年之部』 2編 5 安政1年2月24日~同年3月5日 p.60

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仰上可被下候、, 候樣子并通詞えも極密相尋申上候樣、伊勢守殿被仰聞候旨、, 州仙臺之者ニな、日比忠介と申もの、學問も出來候もの漂流となもいたし、此度之使節, と被思召候得共、人物言語應對眼中之樣子等、日本人アメリカとの辨別付可申哉、差定申, 右は奧州之出生とな、先年アメリカえ漂流、追々當時之姿ニ相成候との風評有之、空評と, カニ相違無之候、此儀は全空説に相違無御坐候、私御請合申上候間、其段可然御取繕被, 人ニ聊相違無之候、全空説ニ相違無御坐候、尤右空説とさ、先比私も承込、被仰下候通、奧, と申説有之候間、最初應接之節より得と心付見請候處、眼中之樣子并赤髮、か、アメリ, 此儀委細奉畏候、然ル所ペルリ樣子、是迄度々應接仕候處、眼中之樣子弁言語アメリか, 往復之儀、殊ニ當時香山浦賀立〓り罷在候間、御心配御坐候趣、御、尤、之御儀奉存候、私儀, 「下田へ麥候アメリカ船二艘、廿二日猿嶋へ滯留、廿三日小柴へ乘〓候間、浦賀より内か, も其段甚心配仕居候、十九日之談ニなは、昨年已來榮、左衞、門專談申候フかナン下田、へ參, 用、左ニ被仰下候、, 使節, ペルリ, 「ペリー」邦, 人説ハ空説, 老中ノ達, 安政元年二月二十六日, 六〇

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  • 「ペリー」邦
  • 人説ハ空説
  • 老中ノ達

  • 安政元年二月二十六日

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  • 六〇

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