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東海寺の玄性院に葬る、, 號す、貝塚の青松寺に葬る, 長か收納の内、糜米三万石をわかちうけ、これより柳間み候す、後代々お, 少輔に敍任す、明和六年十二月十二日卒す、年三十八、徳運仁龍泰潤院と, 子となり、七年二月四日家跡を繼、廩米三万石をうく、十五日はしめて浚, れし、延享元年九月二十五日卒す、年五十二、閑翁紹幽大通院と號す、品川, 部少輔に敍任し、後宮内少輔に改む、享保十五年五月十一日兄安藝守吉, 壹てま例り、これより松平の御稱號を名のる、十二月十八日從五位下兵, 長喬享保十七年生る、延享元年十一月十九日遺領を繼, 十二月十五日はしめて惇信院殿に拜〓し、十二月十八日從五位下兵部, 長賢元祿六年生る、寶永七年九月二十八日はしめて文昭院殿にまみ, 明院殿にまみえたてまつり、十二月十六日從五位下近江守に敍任す、, 家紋瓜乃内に違鷹羽, 長員延享二年廣島に生る、明和六年十二月十日長喬か病篤きに臨養, 寛延二年, 三歳, 時に十, 附録, 五九二
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- 三歳
- 時に十
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- 附録
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- 五九二
注記 (19)
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