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を唐人屋敷と唱申候, 貿易御取開方主法之儀し、草創開建之儀、不容易取調ニ付、勘辨見込も附兼, し居候、同十一戌年、海中へ一嶋を築立、同十三子年、三个年ニ而成功、商館取, 長崎江着船、凡五十余年之間、唐人共町宿ニ〓商賣相遂、元禄元辰年、十善寺, 規則も相備候儀ニ有之、此上外國貿易通商御開相成候ニは、第一草創は、取, 遂候處、同十八巳年、向後長崎港江可令着船旨被仰出、其以前南蠻人在住致, 和蘭船之儀は、慶長十三申年ゟ寛永十, 明き屋敷うなり、右築嶋之商館を和蘭陀商館う相定、是を出島う唱申候, 个年商賣荷物銀高制限を被相定、夫々御新制御條目被仰出、永世不朽之御, 村御藥園之地伐開、住館を造り、翌巳年、普請成就、不殘一搆之内在留相成、是, 候得共、唐和蘭陀商方取扱振をも相糺候處、唐船之儀は、寛永十二亥年以後、, 七辰年迄三十二个年之間、肥前平戸ニ渡來、京堺町人共ゟ勝手次第商賣相, 建在留致し居候處、同十五寅年、渡海一切御制禁、不殘歸國被仰付、此時出嶋, とも、定も無之通商仕來候處、正徳五未年ニ至り、御國力之程をも被爲量、壹, 締方等之御規則不相備候ふは、開業之道相立申間敷候間、貿易取開可申海, 唐和蘭共、船數限りも無之、彼より積來荷物ニ應し、本邦金銅諸品, 地坪凡千三百, 七十三坪八合, 六十九坪, 三千九百, 地, 坪, 歴史, 和蘭貿易, 唐貿易ノ, ノ歴史, 安政四年三月, 六八八
割注
- 地坪凡千三百
- 七十三坪八合
- 六十九坪
- 三千九百
- 地
- 坪
頭注
- 歴史
- 和蘭貿易
- 唐貿易ノ
- ノ歴史
柱
- 安政四年三月
ノンブル
- 六八八
注記 (28)
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