『大日本古文書』 幕末外国関係文書 20 安政5年4月中旬~同年7月 p.245

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林え迯散候ものも不少、頗る困難と迫り罷在候趣と付、彼之猾〓、此虚と乘し, し、ナヨロ邊迄も踏込來候處、昨秋ニ至り、一旦引去候得共、右之途中ライチシ, て、何樣之姦謀を可相施も難計、旁以東西奧地方今之形勢、片時も御捨置難相, 當春以來、東西浦奧地とも、痘瘡流行いたし、土人共死亡之ものも多く、又は山, せ、強而所屬之姿を顯し、聢〓土著之根を相固メ候より、忽ち北蝦夷地ヒ押及, 御徳化を慕て、二念無之樣、相仕向け申度旨、願出候ニ付、承屆、居小屋之儀は、手, 車を相發し、猶奧地之方迄も、時々見廻り仕、土人共え厚撫育教諭を相加へ, 嶋清助義は、西浦奧地ウシヨロえ在勤仕、何れも最寄とおゐて、伐木苅草致し、, 穴を構へ、男女數百人を移し、恩威を以土人を歸伏改容せしめ、土地人民を〓, を相唱へ、其外東手タライカ地方えも往來して、〓りと窺測罷在候樣子之處、, 成御場合よ奉存候と付、茂庭彦右衞門義は、東手奧地タライカ地方え在勤、石, 自身居小屋を相營み、越年罷在候而、御締筋は勿論、嚴寒之時節といへとも、雪, カ、ウシヨロ、ホロケシ、ホロコタン等こ而、土地を見立候趣も相聞へ、右各所え、, 當年は大船壹貳艘ツヽも相廻し、居小屋取建、追々北地を開拓可致、兼虚聲, 魯夷窺覦之企、日を追て増加いたし、〓こ山旦地シヨーコタン、其余各所え巣, ヲ施サン, ジテ姦謀, ニ有勤セ, 流行ニ乘, 足輕奧地, 露人痘瘡, 1トヲ恐, ンコトヲ, 請願ス, 露人山日, 地ニ巣穴, ヲ構フ, 安政五年四月, 二四五

頭注

  • ヲ施サン
  • ジテ姦謀
  • ニ有勤セ
  • 流行ニ乘
  • 足輕奧地
  • 露人痘瘡
  • 1トヲ恐
  • ンコトヲ
  • 請願ス
  • 露人山日
  • 地ニ巣穴
  • ヲ構フ

  • 安政五年四月

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  • 二四五

注記 (29)

  • 895,581,64,2279林え迯散候ものも不少、頗る困難と迫り罷在候趣と付、彼之猾〓、此虚と乘し
  • 1474,587,60,2265し、ナヨロ邊迄も踏込來候處、昨秋ニ至り、一旦引去候得共、右之途中ライチシ
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  • 117,729,45,334安政五年四月
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