『大日本古文書』 幕末外国関係文書 45 万延1年11-12月 p.77

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と種々の物品は、同艦に對し、ボヤーリン號とポサードニク號により屆けられた。, した。この修繕作業は、とりわけて、新しい前部火床を二つのボイラーの中に造り、火室の, 中の破損した金屬板を交換することから成り立っていた。更に機械を檢査し、煙〓を高くし, 十二日、聯合軍陣營に占領されている堡壘にたどりつかず、滿水の状態ででも、深さが無い, 樣である。そして同艦に對しては、遠洋航海に向けての完全なる準備の上で、出航中の分遣, 隊の諸艦と上海で合流することが指示されている。, (十フィート)爲に停止せざるを得なくなった。最近の知らせによれば、, 機械部分の總ての修繕は、既に終了に近づきつつあり、又、船體と裝備に關する作業も同, 〓クリッパー艦ラズボーイニク號十月十日、天津に於て河を下り、海岸に移動して今後, たりすることが必要であった。, 同艦は天津に〓り、同地で越冬するためにとどまるだろう。食糧や金、下士の爲の供與被服, り屆ける爲出航し、九月二日、順調に同地に到著した。ここでボイラーの徹底的修繕に著手, の指示を待てとの、駐清公使の指令を受取った。十月十一日、滿潮と共に天津を出航したが, 〓クリッパー艦ジギート號八月二十七日、渤海灣から艦隊の病人を長崎の海岸病院に送, (グレゴリ才暦一八六〇年九月十三日), (萬延元年七月二十八日), 十月十一日、滿潮と共に天津を出航したが、, (萬延元年十月二十八日), 十一月二十人日、, (グレゴリオ暦一八六〇年, (萬延元年九月十日), 海ノ爲上海, 備作業完了, 次第歸國航, シモ水位不, 足二テ航行, 津ヲ出航セ, 理セリ, 修理竝二裝, 行ノ指示ア, 人日長崎著, 日天津二〓, イラーヲ修, 人ヲ乘セ出, 不能トナレ, 長崎ニテボ, 航七月二十, 渤海灣ヲ病, ジ號, 同號へノ補, 一艦ニヨリ, 九月十日天, 十月十人, ラ號, リシ由, 給行ハル, (グレゴリオ暦一八六〇年九月九日), 萬延元年十一月, (グレゴリオ暦一八六〇年九月九日), 七七

割注

  • (萬延元年十月二十八日)
  • 十一月二十人日、
  • (グレゴリオ暦一八六〇年
  • (萬延元年九月十日)

頭注

  • 海ノ爲上海
  • 備作業完了
  • 次第歸國航
  • シモ水位不
  • 足二テ航行
  • 津ヲ出航セ
  • 理セリ
  • 修理竝二裝
  • 行ノ指示ア
  • 人日長崎著
  • 日天津二〓
  • イラーヲ修
  • 人ヲ乘セ出
  • 不能トナレ
  • 長崎ニテボ
  • 航七月二十
  • 渤海灣ヲ病
  • ジ號
  • 同號へノ補
  • 一艦ニヨリ
  • 九月十日天
  • 十月十人
  • ラ號
  • リシ由
  • 給行ハル

キャプション

  • (グレゴリオ暦一八六〇年九月九日)

  • 萬延元年十一月
  • (グレゴリオ暦一八六〇年九月九日)

ノンブル

  • 七七

注記 (50)

  • 257,715,57,1975と種々の物品は、同艦に對し、ボヤーリン號とポサードニク號により屆けられた。
  • 1597,706,56,2222した。この修繕作業は、とりわけて、新しい前部火床を二つのボイラーの中に造り、火室の
  • 1475,707,57,2225中の破損した金屬板を交換することから成り立っていた。更に機械を檢査し、煙〓を高くし
  • 624,708,57,2218十二日、聯合軍陣營に占領されている堡壘にたどりつかず、滿水の状態ででも、深さが無い
  • 1110,702,58,2234樣である。そして同艦に對しては、遠洋航海に向けての完全なる準備の上で、出航中の分遣
  • 988,708,55,1212隊の諸艦と上海で合流することが指示されている。
  • 501,713,57,1753(十フィート)爲に停止せざるを得なくなった。最近の知らせによれば、
  • 1231,757,58,2177機械部分の總ての修繕は、既に終了に近づきつつあり、又、船體と裝備に關する作業も同
  • 867,760,56,2174〓クリッパー艦ラズボーイニク號十月十日、天津に於て河を下り、海岸に移動して今後
  • 1355,709,51,715たりすることが必要であった。
  • 381,712,57,2227同艦は天津に〓り、同地で越冬するためにとどまるだろう。食糧や金、下士の爲の供與被服
  • 1719,692,57,2241り屆ける爲出航し、九月二日、順調に同地に到著した。ここでボイラーの徹底的修繕に著手
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