『大日本古文書』 幕末外国関係文書付録 2 (附録之二) p.216

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よしといふ、故ニ畑作等も出來ル、, こなし、然ルに此トヲキタイの山裾海岸え出、其地崎に計少々あわひ有よ, し、俗語ニ是をリイシリ亡夫婦といふ、カラフト地こは、あわひと海鼠は更, 知志加山あり、此外更ニまし、, 迄之間、山々草計、一重内之山ニは、蝦夷松繋茂してみゆ、川らしき川は更こ, り、トコンホン邊ゟ子の正中こ當りみゆ、此邊え來りては却〓見へす、リイ, なし、地方之巾せまき事十四五里ニ過不可、高山なし、此ヱンルモコマフ之, 三里先之奧こ、トヲキタイといふ高山アリ、少々雪あり、形リイシリニ似た, シリゟ此山を目當こ乘ル、又此邊ゟ城下へ行船リイシリを目當ニするよ, 一カラフト所々番人共二十八九人も有之、内二十人計は松前え〓り、八九人, し、是はリイシリの土産といふ、此外東にシヽヤ越の道高山あり、奧こは來, 何れも當所え集り越年凌よし、白ヌシゟ此邊穴居なし、其内ニも此地は凌, 當所まては子丑ニ向ひ來り候へ共、是ゟ十里余先ノトロは余程の出崎, 一ヱンルモコマフゟ先見分は不致候得共、當所番人等爲相糺候處、左之通、, 一〓、夫迄は戌亥ニ向ひ、此崎は西地第一の鼻こ〓、海中隱洲貳三里も有, 唐太ノ番, 北ノ模樣, しんるも, こまふ以, 人, 村垣淡路守公務日記之二, 二一六

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  • 唐太ノ番
  • 北ノ模樣
  • しんるも
  • こまふ以

  • 村垣淡路守公務日記之二

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  • 二一六

注記 (22)

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