『大日本近世史料』 細川家史料 3 細川忠興文書三 p.308

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はらか二候、何も〳〵滿足申候事、, て無之候間、可心安事、, n渡可申事、, 一、其元麥半分在之由、他國よ三ケ一も無之由、せめてにて候、其上天氣能候ふ作毛能候由、, 參候をとらまへ被返候へは、事之外滿足かり申候由、左樣フ可在之候、以來之ためnて候事、, 一、我々上候時遣餘シ之銀候はゝ、大坂こて替シニ被仕度由、得其意候、此度は作事故、餘銀, 一、筑前へ之走者之儀も被請取之由、はやとく承候之付、其御返事申候シ、井上周防者其國え, 千秋萬歳nて候事、, 一、我々積餘つよくは發不申候、居すくみ申心候哉、終二氣之能事も無之候、されとも差儀二, 一、來九日・十日之時分、嶋津殿をよひ、能を興行可申と申事二候、能組未知候間、重る可申, さのみあるましく候、乍去、互之勝手こて候間、少成共殘置、松野織部・沖津彌五右衞門, 候事、, はてと存候、我々上屋敷せつちんの分之石共不殘可進間、今すへ候之不違樣二めされ候西、, 、釆女殿せつちんの前石滿足かりの由、左樣二御入候、其方も望こて候つる由、とく被申候, キ演能セント, 忠利筑前ヘノ, 走人ヲ請取ル, 島津家久ヲ招, 領内ノ麥作半, 大坂ニテ爲替, 遣殘シノ銀ヲ, 他國ハ三分一, 庭石ヲ忠利ニ, ニシタシ, 讓ル, 分, ス, 寛永七年八月(八二二), 二九四, (八二二)

頭注

  • キ演能セント
  • 忠利筑前ヘノ
  • 走人ヲ請取ル
  • 島津家久ヲ招
  • 領内ノ麥作半
  • 大坂ニテ爲替
  • 遣殘シノ銀ヲ
  • 他國ハ三分一
  • 庭石ヲ忠利ニ
  • ニシタシ
  • 讓ル

  • 寛永七年八月(八二二)

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  • 二九四
  • (八二二)

注記 (30)

  • 2527,925,83,1256はらか二候、何も〳〵滿足申候事、
  • 1711,907,82,850て無之候間、可心安事、
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