『大日本近世史料』 細川家史料 21 細川忠利文書十四 p.352

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ましく候、天草は我竿守國ゟ先之嶋へは所こゟ十七八里も御座候、嶋津所ゟは二り三りも御, て無之候、おいちらし〓〓〓山々へかくれ可中間、それをそろ〳〵尋候はゝ來年迄もかハ, 之道之も天草二る埓聞え可甲候、かたまり候て一揆居中所を見合、長引事は可在之わけに, り可中候、誰〳〵被參候共、其分可爲候、かたまり居候を日をのはし、人ニ渡候樣こは、人, 座候故、此程嶋津人數も遣候へと被仰付候、是は又所も入相候間、か樣之も可在之候、頓, 出候事不罷成候事、, 間たる者は仕ましく候、御氣遣有間敷候、或はせつ所用害日能所へはいり候て呂中候はハ、城, 一、四五日以前ニ、天草へは我等人數可遣由、被仰遣候由ニ候、, せめにて候間、是は所こゟ少々日數とり可中候、左樣之わけは以來可申候間、御氣遣ある, へと可被仰付と存候へ共、干今其沙汰不中來候、未御おさへ候哉、何共不中來候事, 一、天草へ參候へと被仰付候てから、何しニ油〓可仕候哉、只今迄中遣わけにて無之候、はや何, に被下、聞え可申候間、只今迄被主候衆はきとく成分別と存候、可御心安候、恐惶謹正, 一、寸澤者一揆と取あい候は、十一月十二三日と聞え申候、則其日十三日劃吋後御横日牧野傳, 藏殿・丹波殿我竿▽國へ御出候間、定に右之段中入、人數可遣由可中候間、此上は人數遣候, 寛永十四年十一月(三八七六), 候はハ, 三五二

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  • 三五二

注記 (17)

  • 374,331,27,1099ましく候、天草は我竿守國ゟ先之嶋へは所こゟ十七八里も御座候、嶋津所ゟは二り三りも御
  • 594,333,27,1089て無之候、おいちらし〓〓〓山々へかくれ可中間、それをそろ〳〵尋候はゝ來年迄もかハ
  • 649,332,28,1096之道之も天草二る埓聞え可甲候、かたまり候て一揆居中所を見合、長引事は可在之わけに
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