『大日本近世史料』 細川家史料 22 細川忠利文書十五 p.179

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候ものゝ儀と、黒田・鍋嶋人數ニて念を入にがし不毋樣ニとの儀ニて、わき〳〵の人數は, 仕と仕候へとも、二・三之丸乘候ユ草臥、本丸へ直このりこミかね、東南之海手之すミの, はいり候事成不中、其内ニ夜明かゝり甲候處、四郎居中候家をかゝへ殘中候間、火矢こあ, させ申候、其内之大方夜の間ニ本丸やけ中候つる、のり口ニ我等人數〓中候故、餘之人數, 可中ものを、殘多存候、扨、本丸之下こひくき丸、少御座候、是ニ討殘されの敵殘居中候, を、諸手に衆夜明せめ甲候、本丸ゟは、家々やけ跡、火と煙にて中〳〵見え不甲候故、本丸, 之下の丸へはきわまて人數詰候へ共、此方り乘事成不甲候、此丸へは諸手に衆押込候へは, 度々こミ出、廿八日四時程ニ、其丸之家ニ火をかけ、漸々討果中候つる、はし〳〵二隱呂, 火を付甲候、然故、奧へはいり候事成不中、乘口こにせり相、夜更中候故、酬を付、こたへ, やかせ、四郎出中候所を、我等者陣佐左衞門と中もの、首を取中候、四郎と存候はゝ生捕, いり候事不成内ニ、三之丸ゟ付入ニ二之丸へ乘こませ、又本丸へ取籠中候に、又付入ニ可, のを引取候事も、下り引不甲候へは成不甲候故、日暮二懸候へ共、無理ユのりこませ候て, 口ゟ西の口まて我等人數塀裏へ付候る呂中候へ共、事之外成手負死人こて御座候内ニ、小, 笠原衆二之丸鍋嶋跡へのりこミ、則我等人數本丸へ付呂中候あとへ被詰候故、先の我等も, 眞), 丸へ乘込ミシ, 故細川勢ハ本, 小笠原勢二ノ, 丸ヨリ〓レズ, 寛永十五年三月(四一〇一), 一七九

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  • 眞)

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  • 丸へ乘込ミシ
  • 故細川勢ハ本
  • 小笠原勢二ノ
  • 丸ヨリ〓レズ

  • 寛永十五年三月(四一〇一)

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  • 一七九

注記 (21)

  • 155,331,28,1092候ものゝ儀と、黒田・鍋嶋人數ニて念を入にがし不毋樣ニとの儀ニて、わき〳〵の人數は
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