『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 5 p.89

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出島阿蘭陀屋敷表門・水門をはしめ邸内の圖をあらはす、圖傍に、出島のはしめは寛永, 安永庚子唐館圖一鋪ウ, 吟味、唐船・阿蘭陀船繋場迄明細に令板行者也といふ、又〓葭堂の藏書印一顆あり、, の津にはしめて入津、平戸え入津は同十四年なり、寛永十八年長崎奉行馬場三郎左衞, 安水庚子出島圖一鋪〓, 年日本渡海御停止、卯辰兩年出島空地となると、又阿蘭陀人來朝の始は慶長七年泉州堺, 所と定む、安永九年庚子まて九十三年になるといへり、, 町人二十五人に築立仰付られ、南蠻人宿に仰付られ、子丑寅三ケ年出島にて商賣す、卯, 十三年長崎奉行榊原飛騨守・馬場三郎左衞門在勤之時、南蠻人總町屋に居する事を停止、, 唐館總圍、館内土地神天后宮をはしめ、一番より十三番旅館を圖す、又唐人入船ほさ納, め所をも圖にあらはす、圖傍唐人以前者町宿して徘徊せし處、元祿元戊辰長崎奉行山岡, ひ諸國え海陸道規をしるし、國々御屋敷方近年替り候處并御名之替り町方新地等不殘遂, 十兵衞・宮城主殿在番之時、小嶋村十善寺といふ山合に、百間餘方所圍を構へ、唐人居, 別紀第十八(肥前), 八九

  • 別紀第十八(肥前)

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  • 八九

注記 (15)

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