『維新史』 維新史 7 解説 p.21

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として、このような維新史の修史が考えられたのではなかろうか。, けて史料の蒐集や編纂などを開始しており、或いは旧幕関係では徳川慶喜公伝の編纂も始り、その, 持が強くなったのが、維新史修史事業を考えるに至った一つの要因ではなかろうか。, このような金子の回顧談が、どこまで信用できるか、伊藤博文関係史料などから実証できるかど, ほか維新史関係の史料の蒐集・刊行や伝記編纂も進められている。それはいわゆる勤王諸藩関係の, 維新史確立を考えたのではなかろうか。もう一つ漸く芽生えてきた社会主義運動に対処する一方策, 断したことには、それなりの理由があったことと思う。既に薩長藩閥の対立はほとんど解消されて, なって彼等の脳中に、自己の生きてきた時期の歴史を、そして彼等の功績を残して置きたいとの気, きていて、はじめ伊藤が心配した事は問題とならなくなってきていた。加うるに伊藤にしても山県, うかなど、なお検討すべき点があるが、明治四十年代に入って伊藤が維新史編纂の時期が来たと判, 有朋・井上築など幕末史を経験した天保生れの元勲は、みな六十五歳以上となっている。この歳に, みならず、旧幕府関係などにも見られ、このような情勢に対処するため元老らは、官撰の勤王史観, 既に薩摩島津家、長州毛利家、土佐山内家、宇和島伊達家などの旧幕末雄藩諸家で、編輯室を設, 伊藤博文が中国東北省に出発する直前、明治四十二年七・八月ごろ(『世外井上侯伝』には十月とある), 『維新史』と維新史料編纂会, 二四

  • 『維新史』と維新史料編纂会

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  • 二四

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  • 331,350,57,1675として、このような維新史の修史が考えられたのではなかろうか。
  • 813,350,62,2509けて史料の蒐集や編纂などを開始しており、或いは旧幕関係では徳川慶喜公伝の編纂も始り、その
  • 1042,347,61,2142持が強くなったのが、維新史修史事業を考えるに至った一つの要因ではなかろうか。
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  • 450,349,65,2517維新史確立を考えたのではなかろうか。もう一つ漸く芽生えてきた社会主義運動に対処する一方策
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  • 1154,355,62,2514なって彼等の脳中に、自己の生きてきた時期の歴史を、そして彼等の功績を残して置きたいとの気
  • 1386,353,61,2513きていて、はじめ伊藤が心配した事は問題とならなくなってきていた。加うるに伊藤にしても山県
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