『保古飛呂比』 保古飛呂比 6 明治7年~同8年 p.89

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にて、諸縣周旋致し、時情能く熟したる所、何角噺承申候、林氏より時情無腹藏告候へば、國家, 時勢勘考仕候、士族は格別の御取扱に不相成ては、向々承服不致形勢に立至候と相見申候、前原, の言にも、太平以來俗吏に〓られ、士を見ること如土芥抔と、余程憤懣相顯れ申候、就ては、從, の爲可然との義に付、大〓承候儘相噺候處、認呉候樣申聞候得共、其義は相斷申候、右の人へ鳥, 考仕候、今度三郎君西郷御同伴にて御登京の由、右先生の論も、如最初には參申間敷哉、定て出, 來の如き士民合一と申事は、有志の者の甚忌む所と相見申候、大體を以て云時は、同じ人民に貴, 動き候萠有之と相見、權令中野氏、前原へ立越、士民鎭定檄文を乞、人心を鎭定の由、右等彼是, 取縣の者も同伴致し、是人にも被尋候得共、此人には格別噺も不仕、病床中免角再會可致と相分, り書翰相託し、小僕并山川へ差越を以て、山口人に面會仕候處、實は三條公の御内命相受居候趣, 賤の有譯は有まじく候へ共我國の體にては、公論の如く參申間敷、何分眞の開化には難至と愚, ず、何所も同樣にて、鳥取にて從前切髪廢刀の者も、此頃は結髪長刀を帶候者十に七八許も可有, 山口縣島田助七事、津田一と申人備前岡山へ參り居、林茂平兼て懇意の由に候處、致出會、是よ, 之歟との噂、山口にも前原一誠などは大牡丹にて、萩へ引入候由、佐賀紛擾の節は、此縣も大に, 申候、右兩人の噺にも、中國邊何れも別條無之候へ共、異説相唱候者は不少、只此御縣のみに非, (別紙), 卷三十四明治七年(三月), 八九

  • 卷三十四明治七年(三月)

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  • 八九

注記 (17)

  • 1491,676,58,2306にて、諸縣周旋致し、時情能く熟したる所、何角噺承申候、林氏より時情無腹藏告候へば、國家
  • 721,668,58,2313時勢勘考仕候、士族は格別の御取扱に不相成ては、向々承服不致形勢に立至候と相見申候、前原
  • 609,675,61,2306の言にも、太平以來俗吏に〓られ、士を見ること如土芥抔と、余程憤懣相顯れ申候、就ては、從
  • 1383,677,57,2305の爲可然との義に付、大〓承候儘相噺候處、認呉候樣申聞候得共、其義は相斷申候、右の人へ鳥
  • 282,668,56,2306考仕候、今度三郎君西郷御同伴にて御登京の由、右先生の論も、如最初には參申間敷哉、定て出
  • 502,670,56,2311來の如き士民合一と申事は、有志の者の甚忌む所と相見申候、大體を以て云時は、同じ人民に貴
  • 833,667,57,2314動き候萠有之と相見、權令中野氏、前原へ立越、士民鎭定檄文を乞、人心を鎭定の由、右等彼是
  • 1273,668,57,2312取縣の者も同伴致し、是人にも被尋候得共、此人には格別噺も不仕、病床中免角再會可致と相分
  • 1602,674,57,2308り書翰相託し、小僕并山川へ差越を以て、山口人に面會仕候處、實は三條公の御内命相受居候趣
  • 392,665,56,2316賤の有譯は有まじく候へ共我國の體にては、公論の如く參申間敷、何分眞の開化には難至と愚
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