『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 16 訳6 1641年11月-1642年閏9月 p.104

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〔オランダ〕船が前記の海岸に現れた。國王は、自分を攻撃しようとして接近してくるのを見, 帶を掠奪し放火して、多大の損害を與え、五○人の交趾シナ人を捕え、うち二人を殺した。彼, に捕えられたという確報を得て悲歎に暮れた。即ち、この憐れで氣の毒な人々は、餓えと悲, 彼等に與えられた。そして、數日後、前記のジャンク船が二隻のポルトガル船のガリオット船, て、オランダ人たちを互いに引離して、二、三人を一つの牢獄に閉じ込め、そして餓死させた。, して連れ去られた一二人を除き、無慘にも殺害されたのであった。その後間もなく、五隻の, しみに力盡きて、(抵抗しようにも彼等の手元には一挺の銃も持っていなかったので、)捕〓と, 等と引き替えに捕らえられているオランダ人たちを解放するよう要求し、合意に達したので、, の現地住民等と話を交わすことが出來るという理由で、一同の長とされ、非常に粗末な食糧が, すえ死亡した。廣南の海岸に現れた前記の船舶は、直ちに一五○人の兵士を上陸させ、田園地, 我々の側では廣南人を釋放した。しかし、(不信の國王に依って、)約束通りに我々の許へ送還, また、日本の衣服と銀三、四タエル程を秘かに差し入れた。しかし〔彼, 含まれていたが、彼は日本語が話せるので、〔同地の〕日本人や日本居住の中國人竝びに若干, 記の船頭〓〓1は、折を見て、アウフスティン・ミューラー氏に少量の米や其他の食糧を與え、, もまた〕心勞の, 渡來したが、願いによりバタフィア轉出を許可され、同年秋の便船で長崎を發し、歸途、この悲運に見舞われた, 〇ミュー, ラー。, 度平戸に歸任した。一六四一年の早い時期にバタフィアに轉出、同年夏の便船で日本商館勤務を命ぜられて長崎に, 廣南國王蘭, 閉せしめ之, 死す, を死に至ら, 南に到る, 撃す, され殺害さ, 人を分散幽, 釋放せられ, 蘭船五隻廣, たる蘭人等, ミューラー, 葡船に拿捕, 蘭船報復攻, しむ, る, 一六四二年七月長崎にて, 一〇三, はる

割注

  • 渡來したが、願いによりバタフィア轉出を許可され、同年秋の便船で長崎を發し、歸途、この悲運に見舞われた
  • 〇ミュー
  • ラー。
  • 度平戸に歸任した。一六四一年の早い時期にバタフィアに轉出、同年夏の便船で日本商館勤務を命ぜられて長崎に

頭注

  • 廣南國王蘭
  • 閉せしめ之
  • 死す
  • を死に至ら
  • 南に到る
  • 撃す
  • され殺害さ
  • 人を分散幽
  • 釋放せられ
  • 蘭船五隻廣
  • たる蘭人等
  • ミューラー
  • 葡船に拿捕
  • 蘭船報復攻
  • しむ

  • 一六四二年七月長崎にて

ノンブル

  • 一〇三
  • はる

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  • 620,579,70,2290すえ死亡した。廣南の海岸に現れた前記の船舶は、直ちに一五○人の兵士を上陸させ、田園地
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