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いた。しかも終日乾燥した状態が續き、そしてその後の夜分も同樣であった。, という平戸の王の來著を待たせたいこと一, 私は平戸へ向けてイートン君及びハッチ君に宛てた手紙を一通書いて、これを我々のボンギ, ュウのストロイェモン殿の幸便に托して發送したが、これは、ゴンロク殿及びトラゼモン殿の, 當地に到著したこと、今我々は皇帝の評議會から我々は平戸の王が自らやって來るまで我々の, 請願書の回答を待たねばならぬとの返事を受けていること、またトラゼモン殿は我がイギリス, 人船員たちは賣拂うため長崎へ送られはしなかったし平戸の王もさようなことを何も知らぬ、, と言って否定していること、且つまた、他の件に就いては我々は四ないし五日以内に事務處理, 力ムプスと私自身が我々の苦情を文書に書附けてこれをトラゼモン殿と平戸の王の弟に手渡す, っている、と語った。, を受け、殘りの件に就いては、我々の通詞たちを當地に殘して、知らせによれば今途上にある, 今朝はなお本曇りの天氣で、北東の風が吹いて, が行われることにな, 見ることもできなかった。ただ彼等, すなわち忌日の行事, そして今日はキヤプテン・, が行われたが、明日はオーゴショ樣の年忌, は今日は若い王子(皇帝の長子)の誕生の祭りの行, 十七日(ショングワチ十七日), 事, ○松浦隆信はこの年元和八年ヽ, 一月八日に江戸に參觀するい, ○〓外註に「日, 日光で七回忌祭儀が行われるのでその準備の行事でもあろうか(, 〓五日には元服の儀があるのでその準備の行事であろうか。, ○長子家光は慶長九年七月十七日に生まれた。元和八年九月, 曜日」とある。, 5○大御所家康は元和一二年四月十七日薨去、元和八年四月十七日には, ○日本の, 役人, 五日には, 衞門の使者, 戸商館に近, 状を以て平, を去るべし, 龍崎七郎左, 殘して江戸, 兩商館長窮, 況を報ず, 府之〓〓を, 兩商館長は, 松浦信清に, 松浦隆信出, に托して書, 状を桃野と, 訴ふべし, 世子家光誕, 生祝, の七回忌, 大御所家康, 一六二二年二月, 九四二, 一六二二年二月
割注
- ○松浦隆信はこの年元和八年ヽ
- 一月八日に江戸に參觀するい
- ○〓外註に「日
- 日光で七回忌祭儀が行われるのでその準備の行事でもあろうか(
- 〓五日には元服の儀があるのでその準備の行事であろうか。
- ○長子家光は慶長九年七月十七日に生まれた。元和八年九月
- 曜日」とある。
- 5○大御所家康は元和一二年四月十七日薨去、元和八年四月十七日には
- ○日本の
- 役人
- 五日には
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- 衞門の使者
- 戸商館に近
- 状を以て平
- を去るべし
- 龍崎七郎左
- 殘して江戸
- 兩商館長窮
- 況を報ず
- 府之〓〓を
- 兩商館長は
- 松浦信清に
- 松浦隆信出
- に托して書
- 状を桃野と
- 訴ふべし
- 世子家光誕
- 生祝
- の七回忌
- 大御所家康
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- 一六二二年二月
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- 九四二
- 一六二二年二月
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- 1243,651,64,1855いた。しかも終日乾燥した状態が續き、そしてその後の夜分も同樣であった。
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- 1133,683,69,2232私は平戸へ向けてイートン君及びハッチ君に宛てた手紙を一通書いて、これを我々のボンギ
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