『大日本史料』 6編 10 貞和2年8月~貞和3年11月 p.894

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東國ノ南軍競ヒ起ル、宇都宮某、亦吉野ヨリ下野ニ還ル, 院あり、近くは山本郡に正院あるも、これはかれらす寺院の跡とも聞えさ, 中無此名字也云々、新納院は島津家の宗徒の家人に、後に新納氏あれはそ, りし屋敷を、それかしの院といひたるか、後まてものこりて、郷庄なとのや, なるへし、日向の國高知尾の庄の下、高知尾一以下むし食あるうへに、誤字, も諸國の人の參詣する天の岩戸といふ所あり、そこなるへし、されは河内, も大かた日向の地にてありしなるへし、日向國新名庄は指合の注文に、國, 祁答院、牛糞院なと院と稱する所いくらもあり、其外豐後國圖田帳に、野國, れは、いかれるよしともしられ〓とも、強て試にいはゝ、むかしの郡家のあ, 百とあるは、段別錢の事なるへし、さて此下に、指合の子細ありしか落たる, うになりたるにはあらぬにか、猶考ふへし、豐後國朽網郷の下に、土貢千五, 〓文もあるにや讀みかたし、小野城可被爲〓とは、今年九月小野城合戰、高, 知尾一族ことに粉骨せし故、其功を最とせらる〓ことをいふなるへし、, れか名字の地なる事さたかなり、日向薩摩には、三俣院、新納院の外、伊集院、, 園太暦〕九九月廿日天晴、光明院良海上人來賀大納言慶、其次云、河州合, 名莊, 日向國新, 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日, 八九四

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  • 名莊
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  • 南朝正平二年北朝貞和三年九月二十日

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  • 八九四

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