『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.892

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れ村上、圓融の御代のころ、さかりなりし女とおぼしきなり、, 女のことは、たゞ此集の詞と、元輔の履歴とによりておもひさだむべし、か, あれば、筑前より肥後に來りすみて後も、をり〳〵筑前にゆきかよひしと, き書べきに、老にきはまりてとのみあるは、おのづから老おとろへたるさ, りけるとあるより、ゆくりなくいへる説也、つくしとは、筑前筑後にはかぎ, されば、あこめ一かさねぬきてやりけるとあるも、此集の元輔, し、純友がさわぎにあへることまことならましかば、此家集にも、其おもふ, の妻の周防命婦か物かづけたること、秋のもみぢをよませしも、此集の肥, 廣足按に、猶いはゞ此集に、宇佐の國とし、香椎宮のまつりの使の小貳など、, れば、かへりなんとおもふに、監なる人の妻は、なまじぞくなるに云々とも, 後守の館にてとあるを、みな野大貳のことにつくりなしてかけるなるべ, 又しりたる人のむかへたれば、筑前の國にしばしあるほどに、日ごろにな, 見えたり、さて白川を筑前なりといふは、後撰集に、つくしの白川にすみ侍, まとこそ聞ゆれ、そはとまれかくまれ、かくくさ〴〵のたがひあれば、檜垣, みな肥後にたづねきぬるよしいひ、肥後守の館にて歌よみしことも見え、, 天慶四年五月二十日, りなすこと, つねなり、, 檜垣ハ村, 皇ノ頃ノ, 上圓融天, リタル後, 肥後ニ還, モ猶ホ筑, 人ナリト, 前ニ往來, ノ説, 天慶四年五月二十日, 八九二

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  • りなすこと
  • つねなり、

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  • 檜垣ハ村
  • 皇ノ頃ノ
  • 上圓融天
  • リタル後
  • 肥後ニ還
  • モ猶ホ筑
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  • 前ニ往來
  • ノ説

  • 天慶四年五月二十日

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  • 八九二

注記 (29)

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