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云、傳云、此舊地, 在龍安、等持兩寺山傍といひ、また龍安寺の條, に述へるかことし、, られさるは、いとも畏き事なりけり、委細は村上陵の條, 二寺間と云へるに、無題詩集に載たる三宮の遊西山古洞詩に、棠梨嶺遙雲, に、今龍安寺昔日圓融寺舊跡云々といひ、山城志にも、圓融寺昔在龍安、等持, 二年七月十六日の條等の山陵使を遣さるゝ陵名を擧られたるに、後邑上, 村上山陵傍、と見えたるか如く、御骨を藏奉り給ひたりし御本陵にて、左經, 記寛仁元年十月廿日の條、小右記長保元年七月廿三日の條、日本紀略長保, と記されたるは、此御陵の事にそありける、今その處の知, 編年集成、一代要記等に、正暦二年二月十九日, 御火葬所は、同し葛野郡圓融寺の北原にて、今その處は、大雲山龍安寺, 寺の北原ならむと考へらるゝ故は、山城名勝志に、圓融寺の條に、仁和寺僧, の東北のかた、字を春日谷とよふ原山の頂にある是なるへし、年, 經て、今はいたく壞損ねたるか、高さ一丈許、廻り二十丈許あり、此處を圓融, 葬於圓融寺北原、置御骨於, 明五年の, 左經記の傍書に, 圓融と注したり, 十五日ノ條ニ收ム, 圓融寺の舊地, 建立なり, ○康保四年五月一, は文, のことなり、, 此寺, 庚, 申, 御火葬所, 正暦二年二月十九日, 七三九
割注
- 明五年の
- 左經記の傍書に
- 圓融と注したり
- 十五日ノ條ニ收ム
- 圓融寺の舊地
- 建立なり
- ○康保四年五月一
- は文
- のことなり、
- 此寺
- 庚
- 申
頭注
- 御火葬所
柱
- 正暦二年二月十九日
ノンブル
- 七三九
注記 (31)
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