『大日本史料』 2編 1 寬和2年6月~正暦4年6月 p.740

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思ひきや春のかすみになして見むとは, 編年集成なとの實録には、みな圓融寺北原とのみありて、紫野と書たるも, 霄雪、楊柳寺深天祿塵, の御自注に、山脚有圓融寺故云なといふことも見えて、むかし圓融寺は此, 花物語に、圓融院の御さうそう、紫野にてせさせ給ふ、其ほとの御ありさま, らさき野を取出られたりしものなるにか、又昔は此圓融院の東わたりま, ても、紫野とよへりしか、心得かたき事なりかし、されは日本紀略、扶桑略記、, 思ひやるへし、一とせの御子日に、此わたりのいみしうめてたかりしはや, の春日谷わたりの山原なるへきこと、又おのつから明ならすや、然るに榮, 山わたりの山脚に在しこと分明にしられたれは、その圓融寺の北原は、こ, のあらさるをもて、紫野は其近邊の地名にて、御火葬の實地にあらさる事, を知つへし、さらはかの廟陵記なとの書に、雲林院村の東なる天王豕を御, なと見, えて、紫野にて御火葬ありしかこといひたれと、其は歌人たちの歌料に、む, と、おほし出るもかなしけれは、閑院左大將朝光、むらさきの雲のかけても, とある詩, 此事、また後拾遺和歌集、今, 昔物語等にも見えたり, 圓融帝の御建立なる事を云へるなるへし, 天祿は圓融帝御代始の年號なり、此圓融寺, 正暦二年二月十九日, 七四〇, 正暦二年二月十九日

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  • 此事、また後拾遺和歌集、今
  • 昔物語等にも見えたり
  • 圓融帝の御建立なる事を云へるなるへし
  • 天祿は圓融帝御代始の年號なり、此圓融寺

  • 正暦二年二月十九日

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  • 七四〇
  • 正暦二年二月十九日

注記 (23)

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