『大日本史料』 2編 3 長徳3年9月~長保2年9月 p.144

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本年十月十日ノ條ニ見ユ、, 重家の少將とて、心はへ有識に、よ覺へをおもくてましらひ給し程に、久し, る、その御はらに、女君ふた所をとこ一人そおはするを、年ころいかてそれ, り、むこにとり奉らせ給へりし程に、, は内東宮にとおほしなから、世中わつらはしうて、内にはおほしかけさり, 二十一日, くおはしますましかりけれはにや、出家してうせ給にき、女君ひとゝころ, 卿の宮の御子、源宰相頼定の君の北方にて、あまたの公達おはすめり、, ○盛子内親王御著裳ノコト、康保二年八月二十日ノ條ニ、薨奏ノコト、, は、一條院の御時の承香殿の女御とておはせしかと、すゑには爲平の式部, す所の御はらそかし、その御腹に、男一人、女二人そおはしましゝ、をと君は, いま一所は、今の小一條院のまた式部卿の宮と申しゝお, 大神宮以下諸社臨時奉幣、, 〔御堂關白記〕一七月七日、。癸亥、説孝朝臣來云、宣旨云、内大臣奉幣使行、而, つ、, 大鏡〕刺政大臣兼通この御北の方に、村上の先帝の女宮、ひろはたの宮, 長徳四年七月二十一日, 日ノ條ニ收ム、, ○下略、寛仁三年四, 月十日ノ條ニ收ム、, 略、寛, 仁四年六月十, ○中, 太政大臣兼通, 丑, 丁, 御子女, 長徳四年七月二十一日, 一四四

割注

  • 日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、寛仁三年四
  • 月十日ノ條ニ收ム、
  • 略、寛
  • 仁四年六月十
  • ○中
  • 太政大臣兼通

頭注

  • 御子女

  • 長徳四年七月二十一日

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  • 一四四

注記 (29)

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