『大日本史料』 2編 7 寛弘8年7月~長和2年10月 p.230

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る田畑二段許と三所あるを, 國愛宕郡鹿ケ谷村字御廟野ノ内北ノ〓ニ, るへからむと思はるれは、此御陵には當るへくもあらぬ地なり、その他の, 決定ス、, 明治二十二年六月一日、勅裁ヲ經テ, 二所は、共に山傍といふへき地なれと、櫻本寺のあり處を考定されは、これ, 冷泉天皇火葬〓京都府京都市左京區鹿ケ谷寺ノ前町, も又考定かたくて、御陵所も御火葬所も、共に今辨定かたし、後人猶よく考, 櫻本陵、, 櫻本陵ヲ、山城, そのおんへうしは、字圓成寺より一町許北にあたれは、大鏡裏書に, 〔陵墓要覽〕六三冷泉天皇櫻本陵京都府京都市左京區鹿ケ谷法然院, いはゆる後一條院の后中宮滅子、を奉葬圓城寺北地と見えたるにもや、當, 顯してよ、, 圓墳, 冷泉天皇, 〔諸陵寮誌, 圓墳, 〔諸陵寮誌〕地録明治二十三年二月五日、, 町, 寛弘八年十一月十六日, 明治二十三年二月五日, の疑は, 一町一畝, 十歩餘、, ○中, 此ほか字圓成寺の邊には、六體家山王家なと, あれと、皆いにしへ圓成寺の内に當れは、御陵, 略, 陵墓, ○中, あらす, 略, ○中, 略, 録, ○, 二三〇

割注

  • の疑は
  • 一町一畝
  • 十歩餘、
  • ○中
  • 此ほか字圓成寺の邊には、六體家山王家なと
  • あれと、皆いにしへ圓成寺の内に當れは、御陵
  • 陵墓
  • あらす

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  • 二三〇

注記 (38)

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