『大日本史料』 1編 12 康保 4年 5月~安和2年8月 p.18

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

は彼妙光寺山より此保安寺といふ邊かけて、山の尾さき引延へて、おのつから長尾と, いふ地形もあきらかにしらるゝなり、その地の北の方妙光寺山の上、すなはち仁和寺, の西のかた長尾の村上にて、古〓も現存たれは、うたかひなき村上陵なるへし、此山, はなしとこそ定めたりけれ、, 仁和寺西とあるにも叶ひ、山槐記の文にも符合すれは、こゝを措て他に探求むへき地, その中央より西にかたよりて古墳あり、これ則御陵にそありける、しかれは人車記に, は仁和寺の西にて、北は主山を以て包み、東は妙光寺の後の山、西は泉谷を限れり、, 〓村上天皇村上陵之圖〕, 圓墳, 村上陵京都府京都市右京區鳴瀧宇多野谷, 〔陵墓要覽〕六二村上天皇, 京都府京都市右京區鳴瀧宇多野谷, 昭和四年測量昭和五年製圖, ○宮内廳書陵部所藏, 圓墳, 康保四年六月四日, 一八

割注

  • 昭和四年測量昭和五年製圖
  • ○宮内廳書陵部所藏

頭注

  • 圓墳

  • 康保四年六月四日

ノンブル

  • 一八

注記 (17)

  • 1804,593,63,2178は彼妙光寺山より此保安寺といふ邊かけて、山の尾さき引延へて、おのつから長尾と
  • 1657,599,64,2175いふ地形もあきらかにしらるゝなり、その地の北の方妙光寺山の上、すなはち仁和寺
  • 1514,598,62,2173の西のかた長尾の村上にて、古〓も現存たれは、うたかひなき村上陵なるへし、此山
  • 926,602,56,699はなしとこそ定めたりけれ、
  • 1071,595,63,2178仁和寺西とあるにも叶ひ、山槐記の文にも符合すれは、こゝを措て他に探求むへき地
  • 1219,593,61,2174その中央より西にかたよりて古墳あり、これ則御陵にそありける、しかれは人車記に
  • 1366,601,62,2135は仁和寺の西にて、北は主山を以て包み、東は妙光寺の後の山、西は泉谷を限れり、
  • 320,591,73,726〓村上天皇村上陵之圖〕
  • 483,715,52,108圓墳
  • 628,598,60,1084村上陵京都府京都市右京區鳴瀧宇多野谷
  • 764,585,74,805〔陵墓要覽〕六二村上天皇
  • 159,602,55,850京都府京都市右京區鳴瀧宇多野谷
  • 355,1374,44,553昭和四年測量昭和五年製圖
  • 311,1373,41,382○宮内廳書陵部所藏
  • 685,253,40,82圓墳
  • 1919,643,41,337康保四年六月四日
  • 1930,2455,38,63一八

類似アイテム