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もとにつかはす、さらに又住わふる身をなけくこそ捨てもおなしうき世なりけれ、元, りけむからに、荒はてゝは容易く知られす失ゆきたりしものにそありけむ、猶後人よ, 此妙光寺の後の山の古墳そ御陵なるへく、そは日本紀略に葛野郡田邑郷北中尾とあり、, 階陵の制度にならひ給ひて、もとより丘陵の形は造り給はす、たゝ平坦の御陵にてあ, 正尹大納言師賢卿遁世、北長尾の山庄に引こもり、和歌一首を詠し、春宮大夫師兼か, 山槐記に仁和寺長尾とあれは、中尾・長尾同所なるを知るへし、さて此長尾の地は、, 按、今山城國葛野郡花園村大字宇多野妙光寺の後山の頂上にあり、此こと山陵考に, 弘元年、北長尾の山庄にこもり居侍けるを、世の亂れによりて又立出て後、讀侍ける, とありて、御在所たしかならさりしを、此度實地につきくはしく搜索奉るに、, 山州名勝志に、北長尾、土人云、長尾者、今鳴瀧村也、南方紀傳云、元弘元年春、彈, く〳〵考尋奉りてよ、, 〔諸陵要記〕十村上天皇村上陵, 以テ略ス、, ゲタルヲ, 陵ならむかと考思へりしかとも、上に引出たる長治三年の中右記の文を後に見得て, 先年、鳴瀧五智山の北方の谷大法院山とよへる地にある古墳を、此村上陵并後村上, ニ掲, ○前, からさることを知りぬ、, 考ふれは、其考は宜し, 古墳ヲ擬ス, 花園村妙光, 寺ノ後山ノ, 奉ラザリシ, カトノ説, 墳丘ヲ築キ, ル説, 康保四年六月四日, 一六
割注
- 以テ略ス、
- ゲタルヲ
- 陵ならむかと考思へりしかとも、上に引出たる長治三年の中右記の文を後に見得て
- 先年、鳴瀧五智山の北方の谷大法院山とよへる地にある古墳を、此村上陵并後村上
- ニ掲
- ○前
- からさることを知りぬ、
- 考ふれは、其考は宜し
頭注
- 古墳ヲ擬ス
- 花園村妙光
- 寺ノ後山ノ
- 奉ラザリシ
- カトノ説
- 墳丘ヲ築キ
- ル説
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- 康保四年六月四日
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- 一六
注記 (29)
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