Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
條に、九月六日、, 後山、大内山の内、字丸山の東下、宇多野とよへる山間にあり、字を宇多家と, 陵の地をいへりしにて、今も此御陵の北にあたりて、宇多の古池、新池とて, まに土を覆ひ、藏奉り給へりしものとそ思はるゝ、さてこの御陵所の事を、, 二つあり、古池は大かた埋まりて、水いさゝか溜りたるを、新池はそこより, 拾骨の事みえさるは、元明天皇の御葬の如く、御骨を拾奉らす、御火葬のま, しられす、又編年集成大内山陵の注に、仁和寺奧池尾山と見えたるは、此御, 御室相承記に、寛平法皇陵、袖倉上なりといへる袖倉は、山の字か、今さる處, 北にありて、水いと多く湛へたり、これ池尾山の名ある由縁にて、大内山陵, 火葬太上天皇於大内山陵と見えたる、御火葬の御跡なるへきを、諸書に御, よふ、西東四丈、北南五丈許あり、丘陵の形なく、平坦なる山地の四周に、掘廻, らしたる隍の跡あり、陵上には、松雜木生茂れり、これ貞信公記延長九年の, 〔山陵考〕三大内山陵宇多院天皇の御陵なり、山城國葛野郡仁和寺の, なり、, 始從寅尅、法皇火葬と見え、日本紀略に、九月五日、己丑、夜奉, 寅, 庚, 下宇多野, 字宇多塚, ニ在リ, 承平元年九月六日, 五六八
割注
- 寅
- 庚
頭注
- 下宇多野
- 字宇多塚
- ニ在リ
柱
- 承平元年九月六日
ノンブル
- 五六八
注記 (22)
- 1241,667,56,418條に、九月六日、
- 1609,661,66,2195後山、大内山の内、字丸山の東下、宇多野とよへる山間にあり、字を宇多家と
- 500,667,64,2199陵の地をいへりしにて、今も此御陵の北にあたりて、宇多の古池、新池とて
- 872,672,67,2206まに土を覆ひ、藏奉り給へりしものとそ思はるゝ、さてこの御陵所の事を、
- 376,682,63,2183二つあり、古池は大かた埋まりて、水いさゝか溜りたるを、新池はそこより
- 994,666,66,2200拾骨の事みえさるは、元明天皇の御葬の如く、御骨を拾奉らす、御火葬のま
- 621,670,66,2199しられす、又編年集成大内山陵の注に、仁和寺奧池尾山と見えたるは、此御
- 751,669,66,2198御室相承記に、寛平法皇陵、袖倉上なりといへる袖倉は、山の字か、今さる處
- 255,675,66,2197北にありて、水いと多く湛へたり、これ池尾山の名ある由縁にて、大内山陵
- 1116,667,65,2199火葬太上天皇於大内山陵と見えたる、御火葬の御跡なるへきを、諸書に御
- 1488,666,65,2200よふ、西東四丈、北南五丈許あり、丘陵の形なく、平坦なる山地の四周に、掘廻
- 1365,669,64,2186らしたる隍の跡あり、陵上には、松雜木生茂れり、これ貞信公記延長九年の
- 1716,624,96,2233〔山陵考〕三大内山陵宇多院天皇の御陵なり、山城國葛野郡仁和寺の
- 1867,740,45,137なり、
- 1241,1157,64,1706始從寅尅、法皇火葬と見え、日本紀略に、九月五日、己丑、夜奉
- 1229,1102,39,42寅
- 1269,1101,41,44庚
- 1644,314,41,171下宇多野
- 1599,314,42,168字宇多塚
- 1552,322,42,112ニ在リ
- 1976,747,43,340承平元年九月六日
- 1982,2463,45,125五六八







