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諸書にいはゆる大内山陵にそあたるへき、, る、御火葬の御跡なるを、御拾骨の事諸書に見えさるは、彼元明天皇の御葬, 多野にあり、是は仁和寺の後山、大内山の字丸山の東下、字を宇多塚といふ, られしは、御遺詔に甚く拘泥過給へりしにそあらむ、今もこの大内山なる, て、その御葬所を知給はさることはあるましきことなるに、無才學なと答, 御遺詔に不置山陵と詔ふとも、其御葬所は無くて叶はぬ事なれは、御室に, の如く、御骨を拾奉らす、そのまゝ土を覆ひ。藏奉り給へりしは論を俟す、さ, 丸山の東下に、宇多豕, は御陵の一證とすへし、日本紀略に、奉火葬太上天皇於大内山陵と見えた, 十一月廿七日條に、行山陵隍事々状、仰左金吾了と見えたれは、此小隍の跡, て御室相承記に、寛平法皇陵、袖倉上也と記したる袖倉は、此山谷即ち御陵, とて存り傳はれるは、その御葬所の御跡にて, 丘陵の形なく、四周に掘囘らしたる小隍の跡のこれり、貞信公記、延長九年, の近きわたりの小名にして、山城國内にても、岩倉、鎌倉、小倉、蓼倉なといふ, 〔諸陵要記〕十宇多院天皇大内山陵按、今山城國葛野郡花園村大字宇, 御廟と, もよふ, 稱ス, 宇多家ヲ, 殘ル, 宇多塚ニ, 小隍ノ跡, 袖倉ノ所, 御廟トモ, 在, 承平元年九月六日, 五七〇
割注
- 御廟と
- もよふ
頭注
- 稱ス
- 宇多家ヲ
- 殘ル
- 宇多塚ニ
- 小隍ノ跡
- 袖倉ノ所
- 御廟トモ
- 在
柱
- 承平元年九月六日
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- 五七〇
注記 (27)
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