『大日本史料』 5編 12 暦仁元年10月~仁治元年8月 p.358

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四丈許なる平坦の地、これ此御陵の古跡なるよし云傳ふる説あり、よく正, 水無瀬後鳥羽院の供物は、定て臺にのせ庭上に, 按、苅田今勝田山是也、勝田山源福寺有塔廟、即其火葬處、, 六十、同廿五日火葬と見え、東鑑にき同廿六日奉葬と見え、増鏡に、延應元年, し問ふへき事なり、是かの一代要記に、延應元年二月廿二日、於隱岐國崩、年, なし奉るも、むげに人すくれに心ほそを御ありさま、いとゝ哀になんなど, の地を御陵と申せとも、もとは源福寺方丈の南方竹藪の内に、十八丈に廿, といふ二月廿六日、六そぢにてかくれさせ給ひぬ、近き山にて、例の作法に, 見えたる、御火葬の遺跡なる〓し、, 〔山陵志〕一後鳥羽院陵、在隱岐海部郡之苅田山, 置と、定て老烏來啄御供破る時のは、臺にのせおけ共、能知て不啄、希代なり、, 貞享元年五月に破となり、火事に祟ると昔より申すより、禁中より祈祷に, 御火葬所き、隱岐國海部郡勝田山源福寺の内にありとそ、今き宮居, 〔山陵考〕四大原法華堂後鳥羽院天皇の御骨を藏奉給へりし御陵な, 〔遠碧軒隨筆〕, り, 神祇, ○中, 上之一, 略, ○中, 略, 水無瀬御, 廟ノ御供, 物, 延應元年二月二十二日, 三五八

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  • 神祇
  • ○中
  • 上之一

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  • 水無瀬御
  • 廟ノ御供

  • 延應元年二月二十二日

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  • 三五八

注記 (27)

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