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の地, 香燈料として、同土のうち小塩村百廿石, は後世の妄説なれは、思ひまとふことなのれ、抑此悲田院の事、彼應仁別記, 云々、陣中日來御辛勞故也、可歎可恐とあり、當時の景況おしはかられてい, 西傍にあり、此〓は上に引載たる親長卿記にいと委しくのべられ、またそ, の他の諸書にも明白なれは、わづらはしく再ひ記して、とかくいふへきふ, しなし、されと此悲田院の稱、泉涌寺の塔頭にあるにまとはされて、其處に, た〳〵御本陵の證據明白なれは、山國をこそ御本陵とはなすへきなり、, もとより在來れる七重の華藏塔を、御火葬所なりといへる輩もあれと、そ, 御火葬所き、山城國愛宕郡上原扇子町なる大應寺の東北のかた二俣川の, にもいへる〓く、文明二年十二月、仙洞御不豫ノ儀、假初ノ樣ニテ、廿七日夜, 町殿陣中也、關白殿鞍馬寺邊長谷云々、七日、一、上皇去月廿七日崩御、俄御儀, 長卿記文にておのつから明白なり、また常照寺記には、後花園院天皇の御, とて、因に記しおく〓ゝはなしぬ、さて御本陵は、山國常照寺なる〓は、彼親, とも〳〵かしこき〓にこそありたれ、是は贅言に似たれとも、後の參考に, をも賜はりて領したりしを、光秀入國のゝち押領したるよしを記せり、か, もとよりの寺領三百六十石, の外に、更にまた給ひしなり, 本陵トス, 山國ヲ御, ベシ, 御火葬所, 文明三年二月五日, 四〇五
割注
- もとよりの寺領三百六十石
- の外に、更にまた給ひしなり
頭注
- 本陵トス
- 山國ヲ御
- ベシ
- 御火葬所
柱
- 文明三年二月五日
ノンブル
- 四〇五
注記 (24)
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- 707,649,60,2210の他の諸書にも明白なれは、わづらはしく再ひ記して、とかくいふへきふ
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