『大日本史料』 1編 6 延長 5年11月~承平5年雑載 p.367

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十町、南北十町、穴深九尺、方廣三丈、校倉高四尺三寸、縱横各一丈、一説云云々, その陵上の御表には、卒都婆を三基立置給ひたりしこと、同雜事記に引載, の村落の北、勸修寺の巽の方にありて、字を御陵といふ、山のかたちなく、平, 形は、築立給はさりしにそありけむ、又その御表の卒都婆は、石にてありし, を見るに、延長八年十月十日, なるへけれと、何の年頃失たるにか、今はたゝ木立の外に物も無し、さてこ, 掘り、その内に校倉を置き、その倉内に御棺を納奉り給ひたりし趣知られ、, 同日、戌二尅奉入於御倉云々とみえて、此御葬は陵山を作らす、平地に穴を, こと、類聚符宣抄の宣旨に見えたれは、御葬の翌年に成たる隍なり、, のめくりの隍は、承平元年十一月に、左衞門尉源添に仰せて掘しめ給ひし, たる李部王記の文にて知られたれは、秀實か山陵志に云へる如く、陵山を, 地に圓く小隍を囘らしたり、是醍醐寺雜事記に、貞信公記竝淑光日記文と, 墾傷して、かく平坦になれるにあらす、儉約の御遺詔にて、もとより丘陵の, 〔諸陵要記〕十醍醐天皇後山階陵按、今山城國宇治郡醍醐村大字醍醐, 亥四尅奉葬於醍醐寺北笠取山西方、四面八, 庚, 子, 陵ノ形ハ, 築カズト, 元ヨリ丘, ノ説, 字御陵, 延長八年十月十日, 三六七

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  • 陵ノ形ハ
  • 築カズト
  • 元ヨリ丘
  • ノ説
  • 字御陵

  • 延長八年十月十日

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  • 三六七

注記 (24)

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