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北之方ハ崩落候、先年被仰付候竹垣無之候, 州名跡志には、葛野郡小野庄の下村に櫻本寺あり、上村の内に塚あり、是其, 弘八年十一月十三日壬午の條に、參入冷泉院、以惟貞朝臣并吉平等、令見御, 寛弘八年十一月十六日、乙酉、今夜奉火葬於櫻本寺前野云々、木工頭雅通朝, 慥に御陵なりとも定かたし、又前王廟陵記には下醍醐の櫻墓歟といひ、山, 處歟なと見えたれと、下醍醐も小野上村、下村も、實の櫻本には在所いたく, の北東の畝家廻と呼ふ處をそれなりといへれと、今はみな田畑となりて、, 臣奉持御骨、奉安置件山傍、奉埋御骨了とみえ、編年集成に、葬櫻本寺乾原と, いひ、一代要記、皇年代私記等には、たゝ葬于櫻本乾原といひ、又御堂殿記寛, 違ひたれは、此御陵に當らさること辨を竢すして明なり、そは日本紀略に、, 邊、櫻本の山傍に在つる趣なるを、今其處詳に知られす、山陵志には、神樂丘, 葬所并御陵所、還來申云、櫻本寺北方在平地、件所御葬所并御陵吉由、吉平定, 山城國葛野郡御火葬所、一段高キ畑地之端ニ、凡廻リ貳間半餘之所、畑地〓, 一面之地形ニ而、小石上ケ、古キ五輪上之石貳ツ重タリ、畑地興際立不申、西, 〔山陵考〕三櫻本陵冷泉院天皇の御陵なり、山城國愛宕郡神樂岡の東, 寛弘八年十一月十六日, 略ス、, ○圖, 櫻本陵, 寛弘八年十一月十六日, 二二八
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- 略ス、
- ○圖
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- 櫻本陵
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- 寛弘八年十一月十六日
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- 二二八
注記 (21)
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