『大日本史料』 1編 9 天暦元年 6月~7年7月 p.470

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建つゝきたれは、終にしる人もなくなりたりしを、やう〳〵に尋ね奉りて、, ど建雙べたりしからに、御陵の近旁をも畑に墾き、池を掘などもして、おの, 今の如く、御修營のおちなくなりしは、いとも〳〵めてたくこそありけれ、, づから御陵の封士も、年月經るまゝに、如此落頽れて、低くなりたりしもの, なるべし、, 樂岡東地, 此地年久しく荒芝なりしを、元祿の頃眞如堂, き、池を掘なとして、大に地勢の變りたるより、御陵も追々に落頽れ、人家も, 堂を此東邊に引移し、また四軒寺など引移し建て、追々に其門前に人家な, 帝御火葬の御陵ならむといへり、そは扶桑略記に、神樂丘東原と記せるに, 堂前の西、神樂岡の東麓道の傍にあり、是日本紀略また大鏡裏書に、奉葬神, を引移し、また御陵の北の方に四軒寺なとうつし建て、此わたりを畑に墾, 思ひあやまりたるなり, 又一説には、此御陵を後三條, 〔諸陵要記〕十陽成院天皇神樂岡東陵按、今京都市上京淨土寺町眞如, 〔陵墓一覽〕陽成院天皇陵京都府山城國愛岩郡淨土寺村、, とある御陵なり、, 地字北に作る, ○中, 本は、誤なり、, 略, ○中, 略, 眞如堂前, ノ西神樂, 京都市上, 京淨土寺, 岡ノ東麓, ニ在リ, 天暦三年十月三日, 四七〇

割注

  • 地字北に作る
  • ○中
  • 本は、誤なり、

頭注

  • 眞如堂前
  • ノ西神樂
  • 京都市上
  • 京淨土寺
  • 岡ノ東麓
  • ニ在リ

  • 天暦三年十月三日

ノンブル

  • 四七〇

注記 (31)

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