『大日本史料』 3編 3 寛治7年10月~嘉保2年11月 p.400

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なりかし、高陽院にはあらて、平等院と申す人もあり、伏見には山みちをつ, こなひけるに、そのころ〓田神いちはやくおはしまして、おのつからかさ, くりて、然るへき折ふしには、たひ人をしたてゝとほされけれは、さる面白, をもぬかす馬のはなをむけ、無禮をいたすものをは、やかてたちところに, くしなさせ給ひたれはこそ侍れ、地形眺望なといとなき所なり、第三には, 罰せさせおはしましけれは、大宮司の威勢國司にもまさりて、くにのもの, になして、十五にて尾張守になし給てけり、それにおはりにくたりて、國を, らんと申すに、第三に鳥羽ありなんやと仰せられけれは、鳥羽殿は君のか, 給ひけれは、一には石田こそ侍れ、次にはと仰せられけれは、高陽院そ候ふ, 俊綱か伏見候ふらんとそ申されける、こと人ならはいと申しにくきこと, おほくおはしけれは、やうをかへて、橘俊遠といふ人の子になし申て、藏人, これも今はむかし、伏見修理大夫は、宇治殿の御子にておはす、あまり公達, ともおちおそれたりけり、それにこのこくし下りて、國のさたともあるに、, 〔宇治拾遺物語〕三伏見修理大夫俊綱事, きことなかりけり, 上皇ニ奏, 任ス, 亭ノ勝ヲ, 山路ヲ作, ナリテ赴, リ〓人ヲ, 俊綱伏見, 熱田大宮, 尾張守ト, 通行セシ, 司ノ威國, 司ニ超ユ, ム, ス, 嘉保元年七月十四日, 四〇〇

頭注

  • 上皇ニ奏
  • 任ス
  • 亭ノ勝ヲ
  • 山路ヲ作
  • ナリテ赴
  • リ〓人ヲ
  • 俊綱伏見
  • 熱田大宮
  • 尾張守ト
  • 通行セシ
  • 司ノ威國
  • 司ニ超ユ

  • 嘉保元年七月十四日

ノンブル

  • 四〇〇

注記 (31)

  • 1318,646,64,2188なりかし、高陽院にはあらて、平等院と申す人もあり、伏見には山みちをつ
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