『大日本史料』 3編 3 寛治7年10月~嘉保2年11月 p.500

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らすしも一二といふこと侍らす、なるへき人をえりてなされ侍るなり、又, 國の司へたる人いかゝなと申侍りけれは、菅原のおとゝも讚岐守そかし, おほんおやにておはせしに、大臣あきて侍りけるを、白河のみかとおほし, わつらはせ給て、日ころ過きけるに、匡房の中納言に仰せられあはせけれ, して、文作りたまふことすくれてきこえ給き、六條殿は歌よみにそおはし, 侍らん兄を大臣になさせ給はんに、出家するおとうととはよに侍らしと, もすてかたきなりと仰せられけれは、大納言大臣になり侍ることは、かな, と仰せられけれは、江帥申けるは、博士はへちのことにそ侍り、又才學高く, は、堀河の大納言をなさせ給へとうちいたして申けれは、みかと仰せられ, けるは、弟なれとも、右大將中宮の御おやにて、このたひならすは、法師にな, て判なとし給ひき、世のおほえ兄よりもまさり給て、大納言の大將、中宮の, 申けれは、堀河殿はなり給へりけるとそ、六條のおとゝは、そのゝちにそな, おとゝ顯房と申て、兄おとうとならひたまへりき、堀河殿は才學高くおは, らんといふなり、また上〓とも有て、われこそなるへけれなといへは、それ, その御はらに、堀河の左のおとゝ俊房、六條の右の, 今鏡〕, 七村上源氏, うたゝね, 顯房ノ任, 白河天皇, 兄ノ俊房, 世ノ覺エ, 大臣ヲ匡, ニ超ユ, 房ニ諮リ, 給フ, 顯房大臣, 歌人, ヲ望ム, 嘉保元年九月五日, 五〇〇

割注

  • 七村上源氏
  • うたゝね

頭注

  • 顯房ノ任
  • 白河天皇
  • 兄ノ俊房
  • 世ノ覺エ
  • 大臣ヲ匡
  • ニ超ユ
  • 房ニ諮リ
  • 給フ
  • 顯房大臣
  • 歌人
  • ヲ望ム

  • 嘉保元年九月五日

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  • 五〇〇

注記 (31)

  • 617,648,62,2197らすしも一二といふこと侍らす、なるへき人をえりてなされ侍るなり、又
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  • 1310,649,60,2191おほんおやにておはせしに、大臣あきて侍りけるを、白河のみかとおほし
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