『大日本史料』 4編 7 建仁元年4月~3年12月 p.184

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岩代王子社、境内周四十八間、, 小養御所の跡なるへし、然らは磐代王子も、舊、此邊にありしれらむ、今乃社, 其處より千里濱を過きて、千里王子に詣て給ひしれり、今、千里王子を去る, 地、御所原を去る事七八町にして、御幸記と符はず、東岩代の濱山内と接す, 事西一町許、東岩代村山内村乃界海に臨みて御所原といふ小山あり、此御, な所に、天神社あり、疑ふらくは、磐代王子の舊地ならん、此王子に參詣して、, 板に姓名を書付る例とおほしくて、新古今集にも、此事見えたり、, 中山王子社、境内周五十六間、, なり、舊は今の社地より八町許東中山の内にあり、今、其地を王子か谷とい, 此文によ役は、磐代王子社の側に、御小養御所なり、, 〔紀伊國續風土記〕, 本村榎峠といふにあり、長床あり、御幸記に、超山參切部中山王子とある是, めて重寶とず、天正兵火の後、比丘尼ありて、七箇月の間に社殿を再興ずと, 〓ふ, 紀伊國續風土記), 千里王子社、境内森山周四町、末, 濱母あり、, ふ、, 〔紀伊國續風土記〕, ○中略、御幸記, 切目莊島田村, 岩代莊西岩代村, 六十七日高郡五, 六十八日高郡六, 南部莊山内村, の文ニ係ル, ○下, 六十八日高郡六, 略, 岩代王子, 中山王子, 千里王子, 建仁元年十月五日, 一八四

割注

  • ○中略、御幸記
  • 切目莊島田村
  • 岩代莊西岩代村
  • 六十七日高郡五
  • 六十八日高郡六
  • 南部莊山内村
  • の文ニ係ル
  • ○下

頭注

  • 岩代王子
  • 中山王子
  • 千里王子

  • 建仁元年十月五日

ノンブル

  • 一八四

注記 (34)

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