『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.418

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らひ給ふ時、聖讀給へる歌、, の輩、能々心得へき者なりと示し給ひける、, にさかしく、草木森々と茂て、嵐風谷にひらき、誠に憂世の外に出たること, それより鹿か峠、原の谷、塩屋峠なと過て、岩代の王子といふ社あり、むかし, にて、風景たくひなき所也、八十二代後鳥羽院二十四度熊野へ詣給ひしか, く、心の塵なく山谷の水に沐浴して、内外清淨の身とそなりにける、少やす, 法おこたらす、在々所々念佛勸進して過行給ふに、高山峨々と峙て、嶮路斜, しふることおもひつらねて哀なり、切目といふ所は、うしろは山、まへは海, より本宮へ三十三里、五日を經て本宮へ參とかや、道すから六時不斷の行, ほり給ふ、此所に熊野權現の一鳥井あり、名にをふ松の木陰に御社有、此所, 有馬皇子祈願ありて、松か枝を引むすひ、眞幸あらは又かへりみむと、詠せ, 阿彌陀佛と唱ふる聲は月なれやまよふ心のやみも晴ゆく, かくて紀州にいたり、名草郡紀三井寺の救世菩薩を順禮し、藤代御坂をの, 十二, は、此地に行宮つくらせ給ひておはせしとなり、見那邊峠といふ難所を過, 熊野路ニ, テ和歌ヲ, 寶寺ニ順, 禮ス, 詠ズ, 紀伊金剛, 應永十二年九月十一日, 四一八

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  • 熊野路ニ
  • テ和歌ヲ
  • 寶寺ニ順
  • 禮ス
  • 詠ズ
  • 紀伊金剛

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四一八

注記 (23)

  • 965,711,58,773らひ給ふ時、聖讀給へる歌、
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