『大日本史料』 4編 9 建永元年5月~承元2年2月 p.653

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成就宮は、もとは法性寺の鎭守にておはしけるを、法性寺の廢れにし後は、, たくかなひてきこえたれは、まことにうこくましき御在所とそ知られた, かけても及ぬへき塚ならぬこと、いと〳〵明白なりかし、但し塚の四周の, 知るに足るものにて、古圖にみえたるさま、かの門葉記にしるせる趣に、ま, と、御墓所の上に法、華堂のたちたりし趣に、門葉記にみえたれは、もとより, うつし奉りしことな之、同し地に鎭りましたれは、あた〳〵内山の在所を, 就宮乃北のかた、ツさゝか東よりに墨引して、最勝金剛院と記し、其東に小, 盛大なるにあはせて、封土のあまり高からぬ、いと異やうなるか如クくなれ, るさしを、もと桂昌院にそは、當院開基の墓所なるよしにいひ傳ぬめれと、, 其は已か分限をも辨へしらぬおしはかり説なることうたかひなし、さる, は、其古墳の四周凡二十丈許、高サ若干尺れる大墳にて、纔なる一寺開基乃, 山をのきて、號内山と記せり、これ上にみえたる内山のことにて、古墳の在, 所は、かの成就宮より、直徑二町はあり東北のかたにあたりたりとそ、この, 封土はさしも高からさりしを、法華堂ははや之すたれて、久しき年序を經, 東福寺にそなほもとのことく鎭守といはひまつりきて、むかしより他に, 成就宮ハ, 院ノ東, 鎭守, 法性寺ノ, 内山ハ成, 就宮ノ北, 最勝金剛, 承元元年四月五日, 六五三

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  • 成就宮ハ
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  • 鎭守
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  • 内山ハ成
  • 就宮ノ北
  • 最勝金剛

  • 承元元年四月五日

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  • 六五三

注記 (24)

  • 1564,637,73,2222成就宮は、もとは法性寺の鎭守にておはしけるを、法性寺の廢れにし後は、
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