『大日本史料』 5編 4 安貞元年7月~寛喜元年2月 p.374

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に上り、久我大納言通親に仕へ、五位諸大夫となれり、然れ共製陶の志, 試むるも、其巧唐土の製に及はさること遠し、是に於て唐土に航し、製, 常に止まず、勤仕の餘暇に、古陶器を蒐め、心を碎きて之を模さんとし, 以て、道元に從ひ入宋す、時に宋暦嘉定拾六年にして、景正二拾一歳な, 元、求法の爲に入宋の大志あるを聞き、彼に見えて、隨航の素願を告け, たり、後父基連罪に坐して、備前國松等尾に配〓せらる、是に於て景正, 陶の蘊奧を學はんと志させり、然るに適々其主久我通親の次男僧道, しに、彼大に其志を嘉して、同行の事を諾せり、景正乃貞應二年三月を, 母に從て深草に移る、景正幼より埴挺を弄ふ事を好む、長して後京師, り、景正彼の國に到るや、普く製陶に名ある諸州を巡歴し、六年にして、, を道元に、又一を北條時頼に獻せり、之れ即後世藤四郎唐物の茶入と, 稱する最も貴重の器なり、是より景正、先つ父を配所備前國松等尾に, 歸りし陶土を以て、小壺三個を製し試みしに、其器甚佳良なり、仍て一, 遂に其蘊奧を究めたり、時に道元も亦其業〓に成りしに依り、安貞二, 八月、同行して歸朝し、先つ肥後國川尻に於て、彼國より携へ, 年, 安貞元年是歳, 定元年, 宋暦紹, 道元ト共, 朝ス, 年八月歸, ニ安貞二, 安貞元年是歳, 三七四

割注

  • 定元年
  • 宋暦紹

頭注

  • 道元ト共
  • 朝ス
  • 年八月歸
  • ニ安貞二

  • 安貞元年是歳

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  • 三七四

注記 (25)

  • 1619,757,66,2036に上り、久我大納言通親に仕へ、五位諸大夫となれり、然れ共製陶の志
  • 1388,754,65,2039試むるも、其巧唐土の製に及はさること遠し、是に於て唐土に航し、製
  • 1506,749,63,2042常に止まず、勤仕の餘暇に、古陶器を蒐め、心を碎きて之を模さんとし
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