『大日本史料』 5編 4 安貞元年7月~寛喜元年2月 p.367

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成人の後、久, 此時宋朝は寧宗帝嘉定十六年なり、夫より彼地に居, に著船せしかば、先此所に小き窰を作りて、彼地より持來りし土をもつて、, 師に隨て、安貞二年の春歸朝す、此時廿六歳なり、かくて肥後國川尻の邊り, 入宋の志あるよしを聞、終に此人に隨て入宋す、, 小壺三つ造り燒しに、最勝れたれば、時の將軍家又禪師にも奉る, 土器土鍋等を造るのみ、高麗南京其外の燒物を集め、いかにもして斯る器, 母は平道風が女なり、, 器を製し試るに、いまだ其業に委しからず、況藥を用ふる法を知らねば、只, る事六年の間、南京北京其外國々を經囘し、陶器製作の祕奧をきはめ、又禪, 物を製せんと、朝暮心を碎くといへども、其傳を得る事なきを患ふ、こゝに, 越の永平寺開山道元禪師は、通親卿の二男なりしが、後堀河帝の貞應二年、, といへるは別號なり、深草の里は、母の故郷なるが故に、此所に住て、土, 我大納言通親卿に仕へ、五位の諸太夫となる、名を景正といへり、春慶, 郎左衞門の略稱にして、父は藤原元安, 後に備前國松等尾に配せらる, 此所にて誕生す、元安故ありて、, るをしり、從者となり, 一説に、藤四郎是より以前, 諸國を經囘し、當國瀬戸に, て入宋せしとも云、, 山城國深, 下郡諸輪庄道陰村に住す、藤四郎も, 元安、先祖は橘知貞といふ、大和國城, 今世に殘, 或は, 來り居をしめ、窰を造りて陶器を製造せしが、此頃道元禪師、野田密藏院に、, しば〳〵來遊ありしかば、藤四郎常に禪師と交り深かりしが、入宋の志あ, りし名物, また, 俊慶, 草の人, 春景, 關係, ニ仕フ, 道元トノ, 安貞二年, 久我通親, 〓歸朝ス, 父母, 安貞元年是歳, 三六七

割注

  • 後に備前國松等尾に配せらる
  • 此所にて誕生す、元安故ありて、
  • るをしり、從者となり
  • 一説に、藤四郎是より以前
  • 諸國を經囘し、當國瀬戸に
  • て入宋せしとも云、
  • 山城國深
  • 下郡諸輪庄道陰村に住す、藤四郎も
  • 元安、先祖は橘知貞といふ、大和國城
  • 今世に殘
  • 或は
  • 來り居をしめ、窰を造りて陶器を製造せしが、此頃道元禪師、野田密藏院に、
  • しば〳〵來遊ありしかば、藤四郎常に禪師と交り深かりしが、入宋の志あ
  • りし名物
  • また
  • 俊慶
  • 草の人
  • 春景

頭注

  • 關係
  • ニ仕フ
  • 道元トノ
  • 安貞二年
  • 久我通親
  • 〓歸朝ス
  • 父母

  • 安貞元年是歳

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  • 三六七

注記 (42)

  • 1754,2507,57,336成人の後、久
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