『大日本史料』 4編 13 建保2年1月~4年3月 p.751

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頃ろ印宗和尚行脚のとき、博多の聖福寺に抵りたる物語の中に、彼の開山, 思ふに、榮西は禪機を以て活氣謔浪の質なりしと覺ゆ、因て宋俗もこれに, の六字にして、後鳥羽帝の宸翰と云、, のとき、境内にこの人を住ましめたりしが、今はその兒孫蕃衍して、皆歌舞, 從ひ來れるか、又この時宋朝も穩かならざるときなれば、若くは官俳の類, 予が封邑に、筑前より淨瑠理歌舞伎を爲る者、時として, 伎を業とし、渡世して他邦にも往きて、その事をなす、昔は住所八町と云し, 千光禪師入末して歸朝のとき、宋國の俗隨從するもの多し、因て聖福創立, に童子の像あり、是も歸朝のとき隨ひ來れる宋兒なりとぞ、又この寺の開, が、今は四町なり、故に人寺中と稱すと、又同寺に千光禪師の像あり、其左右, 來りこの伎をなす、これを寺中と呼ぶ、是まで何如なる故を知らざりしに、, 基は頼朝卿にして、祖師の傍にその像を置く、又山門の額は扶桑最初禪窟, も世を避て異邦に入りしか、嘗て林子の話に、今の申樂は、宋世の芝居狂言, 〔甲子夜話, 云しは知らざれど、これ等に因れば、榮西將來の俳優世に沿て變じ、今の淨, なり、入宋の僧などが見來りて、吾邦に取なし作りし者なりと、是□に因て, 五十, ○注文, 略ス、, 七, 者多シ, 宋國ノ俗, 業トス, 隨從スル, 歌舞伎ヲ, 榮西ノ像, 榮西ハ活, 氣謔浪, 建保三年七月五日, 七五一

割注

  • 五十
  • ○注文
  • 略ス、

頭注

  • 者多シ
  • 宋國ノ俗
  • 業トス
  • 隨從スル
  • 歌舞伎ヲ
  • 榮西ノ像
  • 榮西ハ活
  • 氣謔浪

  • 建保三年七月五日

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  • 七五一

注記 (30)

  • 1626,629,70,2220頃ろ印宗和尚行脚のとき、博多の聖福寺に抵りたる物語の中に、彼の開山
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