『大日本史料』 5編 12 暦仁元年10月~仁治元年8月 p.355

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廟も石計の由夫より以後は御修覆とてもなく、かく荒にけり、御遠流な, 寺となりて、物さひたる山寺也、又皇居の御跡は、本堂の右り、今も其ふる, 露尊容をけかし奉れり、軒には蓬しのぶ心の儘に生茂りて、尊躰は大き, し奉るは、往古承久三年辛已、武臣北條の義時、此所に押うつし奉り、御在, つほ木、柿葺、高〓、きさ橋有りて、外は丸木の矢來也、御屋根は皆朽果て、雨, に、後鳥羽上皇の皇居の跡并御廟の靈屋有、上代は門派六坊有り、今は貧, らせ給ふには、おほやけに拜し奉るももたいなく、すゝろに泪こほれし、, アヽかなしきかなや、昔は九重の内にして、他の國までしろしめされし, の高さは壹丈九尺に、四方は貳間に二間半、丸木柱にて白木の宮作り、か, 嶋十九年延應元年己亥御齡六十にして、終に崩御ならしめ給ひしとや、, に、御運のはかなくも、かゝる波荒き松風の本に、御名をのみ殘させ給ひ, 御廟は、万治元年、松平出羽守此嶋御預りの時、新造に建立也、夫まては、御, 跡と荒にたる御廟は、本堂へ行坂の中段、左りの方には、南向にして、御堂, 成瓶棺に納奉りて、上には艶はさゝれ石をかき上けて、下民の時にかゝ, 一勝田山源福寺島前海士村に有り、眞言宗にて、寺領貳百石なり、此寺院, 行在所ノ, 跡, 延應元年二月二十二日, 三五五

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  • 行在所ノ

  • 延應元年二月二十二日

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  • 三五五

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