『大日本史料』 5編 17 寛元元年12月~同2年7月 p.252

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橋本と云所に行つきぬれは、きゝ渡りしかひありて、氣色いと心すこし、南には潮海あり、, ほむの川原にうち出たれは、よもの望かすかにして、山なく岡なし、秦甸の一千餘里をみ, 覺束ないさ豐河のかはる瀬をいかなる人の渡りそめけん, 參河遠江のさかひに、高師の山と聞ゆるあり、山中に越えかゝるほとに、谷河の流れ落て、, つきたる里人の、今更ゐうかれんこそ、かの伏見の里ならねとも、あれまく惜しく覺ゆれ、, 漁舟波にうかふ、北には湖水有、人家岸に列なれり、其間に洲崎遠くさし出て、松きひし, 間、いまはその宿は、人の家居をさへ、外にのみうつすなとそいふなる、ふるきをすてゝ, 新らしきにつく習ひ、定まれることといひ乍ら、いかなる故ならんと思束なし、昔より住, 岩瀬の波こと〳〵しくきこゆ、境川とそ云、, 岩つたひ駒うち渡す谷川の音もたかしの山にきにけり, く生つゝき、嵐しきりにむせふ、松のひゝき波のをと、いつれと聞分きかたし、行人心を, りよくるかたなかりし程に、近比より俄にわたふ津の今道と云かたに、旅人おほくかゝる, わたしたらん心地して、草土ともに蒼茫たり、月の夜の望いかならんと床しくおほゆ、, 豐河と云宿の前をうち過るに、ある者のいふをきけは、此みちをは昔よ, ○中略、仁治三年六月, 十五日ノ條ニ收ふ, 豐河宿, 高師山, 境川, ほむの川原, 橋本, 寛元二年二月十七日, 二五二

割注

  • ○中略、仁治三年六月
  • 十五日ノ條ニ收ふ

頭注

  • 豐河宿
  • 高師山
  • 境川
  • ほむの川原
  • 橋本

  • 寛元二年二月十七日

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  • 二五二

注記 (23)

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