『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.326

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莊を賜はりしも、舟上の勳勞の勸賞と聞えたり、其八代に來りしは、何のこ, 二十四日, して上洛し、其をりに縫殿允になされ、八代莊を賜はりて、やかて領地へ入, 部したりしなるへし、義直後には入道して、無三といひて、麓城に住せしか、, 郎にて、伯耆の名和長年か從兄弟なり、初義眞といひしか、後に義直, 平等ヲシテ、足利及ビ那須等ヲ伐タシメラル、, 其子孫を信定忠家とてありしよし、辛島某か古城記に見えたれとも、二人, 改め、其比は任官して、縫殿允, か假名官途さたかならす、又内河か系圖文書等、世に傳らされは、是らかは, ろなりしにかさたかならねとも、おとゝしの夏、長年と同しく還幸の供奉, になりてありし也、かく任官せしも、八代, てはいかゝなりけん、考るによしなし、, 合戰目安, 〔征西將軍宮譜〕三菊池八代とある八代は、太平記に見えたる内河彦三, 〓い義良親王下野宇都宮ニ次シ給フ、是日、相馬胤平至ル、尋デ胤, 相馬六郎左衞門尉胤平申合戰事、, 〔相馬文書〕, と, 伯耆, 惟澄, 申状, 卷、, 庚, 子, テ宇都宮, 常陸ノ諸, 相馬胤平, 城ヲ攻メ, 族屬及ビ, ニ至ル, 事蹟ニツ, 内河氏ノ, キテノ考, 延元元年四月二十四日, 三二六

割注

  • 伯耆
  • 惟澄
  • 申状
  • 卷、

頭注

  • テ宇都宮
  • 常陸ノ諸
  • 相馬胤平
  • 城ヲ攻メ
  • 族屬及ビ
  • ニ至ル
  • 事蹟ニツ
  • 内河氏ノ
  • キテノ考

  • 延元元年四月二十四日

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  • 三二六

注記 (35)

  • 1485,645,58,2211莊を賜はりしも、舟上の勳勞の勸賞と聞えたり、其八代に來りしは、何のこ
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