『大日本史料』 6編 10 貞和2年8月~貞和3年11月 p.802

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其後頼尚義直、分八代南北以和談義、今宮荒尾, 意未ダ測ルベカラザルヲ答フ、, たしぬき候はんときは、たゝ同篇たるへし、さやうの時は、後悔候ともかひ, とも、たしぬきてかやうに候、にれニ中ニいられて候とも、頼尚事を破候て, あるましく候、所詮たしぬくみちならて、そのうたかひなくしんをとるへ, あかりのほるへき由事口入、子細あるへからす、但先日わたんとて候しか, ヲ宇治惟時ニ與へ、頼尚ノ、和ヲ稱シテ守山關ヲ開カンコトヲ請フモ、其, 〔阿蘇文書〕, 合戰、自八代終以無合力者也, き所見にてあるへくは、みちをあむ事はいきあるましく候、さて小河の, 二箇所御方城迦之畢、其後御敵馳越小河境篠尾搆城〓之間、惟澄雖致日々, 事いちきなれはと云々、あしの一たんニうつすへからす、かくへつのきに, 委細ちうもんの趣、條々たしかニ加一見了、さては關所のくちあかは、頼尚, 〔阿蘇大宮司惟澄申状〕, 正平三年九月日, ○下文ハ、二十五日小, 原田ノ戰ノ條ニ收メタリ、, 野莊ノ戰ノ條ニ收ム, ○上文ハ、去年十月二日、八代, 南朝將士私翰, 八, 南朝正平二年北朝貞和三年八月五日, 八〇二

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  • ○下文ハ、二十五日小
  • 原田ノ戰ノ條ニ收メタリ、
  • 野莊ノ戰ノ條ニ收ム
  • ○上文ハ、去年十月二日、八代
  • 南朝將士私翰

  • 南朝正平二年北朝貞和三年八月五日

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  • 八〇二

注記 (23)

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