『大日本史料』 6編 11 貞和3年12月~貞和4年10月 p.825

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し故、其跡をは詫磨の賜りてありしを、今年武宗か詫磨につきて、將軍のみ, とは、業政か二女なりし故、源二女とはいひたるにて、業政は女子はかりに, にもさる名の人みえされは、しれかたけれとも、是らか補職の下文ともの、, にやさたのならす、また武宗も菊池の一族なりしとは見えたれとも、系圖, るうへに、予かみたりしは寫にて、たヽ判とはかりしるしたれは、誰ならん, 宛行也者、可領掌之状如件とあれとも、花押はかりありて、名字をしるさゝ, たる、執權武藏守北條泰時、相模守時房なと連署の下知状あり、件の源二女, 卿のなされしはしるかり、さて件の業政といふは、いかれる人にてありし, 下文あり、また天福元年七月源二女と云婦人を、同所の地頭職に補せられ, 富名南茨尾等の地頭職に補せられし下文あるにつけて、武藏守より一色, 道猷への下知状ありて、武藏守は高師直なるへけれは、右等の下文は、尊氏, 詫磨か家にしものこりたるをおもへは、業政か家つかすへき男子なかり, 池越前權守武宗を同所の地頭職に補せられたる下文に、右人依參御方所, ともたとりかたし、, て男子なのりし故、其跡を二女に賜はりしなるへし、其後貞治四年九月、菊, されとも同時に同人を肥後國千田庄守, )本文ニテ見, バ直義ナリ, 南朝正平三年北朝貞和四年九月十七日, 八二五

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  • 南朝正平三年北朝貞和四年九月十七日

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  • 八二五

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